ツィーター交換
4月頃から気づいていた愛車コペンの左ツィーターの不調。
連休前に軽く調査したところアンプとRCAケーブルの接触不良と判断し、今月アンプをメンテナンスに出したら異常なし。クルマに接続し直して鳴らしたところ不調が再発。
本腰入れて再調査。同じ曲を何度もリピートさせていたら、ノイズが出るところと出ないところがある事に気付く。
さらに聴き込んだところ、ある周波数(もしくは、ある周波数以上)でノイズが乗りやすくなってる事に気付く。
ここでようやく原因はアンプやケーブルではなく、ツィーターだと判明。
で、今日交換したところ異常なノイズの乗りが無くなった事を確認。もう1〜2日ほど念入りに聴きこむ必要はあると思うが、一応解決っぽいな…。
棒茄子
ニュースでもボーナスの話が出始めているようだが、個人的にはボーナスというものの実在性を疑うよ。
システムが違うのは分かるが、昔10年ほど前に所属していた今や合併で無くなった会社は10人にも満たない規模ではあったがボーナスをくれたけれど、今所属している会社は20〜30人近くいてもボーナスのボの字も出て来ないわけで。その分、月収が高いわけでもなく。1つあれば充分なホワイトボードの2つ目を買う頓珍漢な会社なので俺は言葉を失っている。個人的に、ミーティングやプレゼン向けとして大型モニタを買えば100億倍は有益だと思うが。DMMの50インチ4kモニタなんて約5万円で買えるんだし。
正直、従業員の頭数は増えているものの、質は甚だ疑問だと思う今日この頃。昇進云々の前に、現メンバーの時点でもうピーターの法則が発動しているような気さえする。
…もしや俺だけボーナスを貰えていない可能性もあるな。同僚の給料が分からない以上、それは否定できない。否定できないから周りと比して自分が著しく低い可能性だってある。
こりゃ不透明性ゆえに疑心暗鬼になる典型だな。お互い信用に足る行動をしないから、結果的に信用できない。つまらない駆け引きによる精神的な疲弊は長く持たないから嫌なんだが…。
無いなら無いとその旨を最初に言うべきだが、採用情報に賞与が有ると書いてあるのは、実際に貰って無い立場から見ると、周りは貰っているのかと言う疑問が浮かぶのは道理だろう。
まぁなんにせよ、全くのゼロと、ボーナスとして何ヶ月分とはいかないまでも、例えば5万や10万貰えるのとではハッキリ言ってモチベーションに与える影響の差は大きいよな。退職金も同様。僅かとはいえ、有ると無いとでは大きな差だよ。
気持ち的にはいつでも辞めていいのだが、実際問題として辞められないだろうと双方で思っているだろうから、そういう意味での平行線は続いている。
食い物にされて捨てられて、野垂れ死ぬのだけはちょっと避けたいねぇ。
だからこそ仕事は短時間で終わらせるよう進めているし、会社の事も時間が取られるから最小限の対応で抑えて、自分のプライベートな時間の間だけでも幸せになりたいから趣味に専念してる。
結果として単なる飲み会に出るような時間的・精神的余裕は無いんだよな。社内イベント向けに給料から天引きで積立をされ始めたけれど、それは不参加費を払ってると思うしか無い。
文章の美的感覚
文章における誤字や脱字は、内容を本質的にスポイルするものではないけれど、違和感を覚えたら評価が下がる事はあっても上がる事はそう無いと思う。
だけど、それについて指摘をするべきか否かという問題もある。
記事だったらしてあげた方がライターの将来を考えればいいだろうが、個人が意図的なものとして書いていたら余計な事と言われるかもしれない。
文章の美醜よりも、誤字・脱字による不完全さが俺の感覚では気持ち悪い。
スピーカー
上 JBL 075
下 JBL S101 レストア版
S101は重量が約30kgあって、自宅の2階にある自室への搬入が大変だった…。手伝ってくれた友人に感謝。
075は35年以上前で、S101も30年は前の製品。ある意味で俺自身と同年代とも言える。その時代の物が未だ素晴らしい音を出すのだから、色々と思う事は多い。
理性ではフラットでモニター的なスピーカーが聴きやすくて良いスピーカーだと考えていたが、それは一面では正しいものの、個性的で感覚へ直接訴えてくるスピーカーは理屈云々のレベルじゃどうにもならない。まるで心を鷲掴みにされて一気に引き寄せられる感覚。
感覚的なものは理性では抗い難い。そう思わされる。
賛否
AKB総選挙で結婚発表した娘がいたそうで。
見方次第で評価は大荒れですな。
ファンからすれば「いくら注ぎ込んだと思ってるんだ」と思う事自体は当然の話であるけれど、いくら注ぎ込んだところで自分個人に好意を向けてくれるわけでも無いのも当然でしょうよ。そこはキャバクラと変わらない。
当人にしてみれば言うしかないというのも分からなくもない。秘密を守る事と、正直である事は両立できない部分が多い。ニーチェが好きらしいので、そうなると自分を危険に晒してまで世に問う行為へ走るのも個人的に理解できる。
哲学が好きなのだから物事を考えるのが好きで、頭の良い娘なのだと思う。
彼女の行為は褒めたいくらいだけど、事実を受け止められない人達も一定数はいるだろうし、ほんの一部が暴走したりして実害を受けない事を願うよ、俺は。
相手の一般男性が表に出て、矢面に立ち、身を呈してでも彼女を守ろうとするのならば凄いなと思うけど。
オーディオ巡礼
五味康祐氏の50年前のオーディオに関するエッセイを読んでいて思うのは、今も本質的に変わっていない、と言う事。
結局は先人と同じ道を歩んでいるような気がして、それは果たして進歩してるのか否か…。
「ティンパニーがうまく鳴れば、ティンパニーのよく聴こえるレコードばかりを集めたくなるのは人情だ。音楽鑑賞の本質から、それが、どれほど君自身を毒して行くかを言っておきたい。」
「一応の水準で鳴っているなら、装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ、名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して、これを言う。」て、49年前の言葉かよって思うくらいに今も生きてる名言だな…。
まだ序盤なのに俺は深い感銘を受けてる。
オーディオの皮肉さ
好きな音源をより良い音質で聴きたくて、機材をあれこれと変えて、良くなるたびに新たな感動が味わえるのがオーディオの楽しみの一つだと思っている。
ただ、完璧な音源はそう無いのが現実。
数十万、数百万以上かけたシステムで再生するよりも、数万円のシステムの方が聴き心地が良い場合もあるのがなんとも…。
システムが完璧に近づくほどに、演奏者・ボーカルの実力、録音環境の良し悪し、エンジニアリングやマスタリングなど音源自身の質が問われてしまう。
そうなると楽しくなくなるケースも出てくる。録音のミスやエンジニアリングのミス等が目立つ事も全く無いわけではない。
結果として良い音源と良くない音源に別れる。なんとなく良いと思っていた音源も、聴き込むと意外にそうでもなくなってしまったり。良くない音源は良くないという判断が下された時点で、頻繁に聴く事はまず無くなる。音が楽しめないから。
ピュアオーディオというある種の信仰のような呪いにかかってしまった人達は、高音質音源を最優先で追求するあまり、音楽は2番以降になってしまう。それは個人の範疇で収まる分にはまだいいが、周囲に押し付け始める原理主義者になったら害でしかない。
ほどほどが無難なのは確かにそうだが、キチガイになるほど踏み込まなければ分からない事も多くある。
めんどくさい
レンタルビデオにせよ、図書館をはじめとする貸本にせよ、借りに行くのは目的があるから良いものの、返しに行くのが本当にめんどくさい…。
気持ち悪くなってしまう
昨夜はホームセンターに行ったり、散髪に行ったり、レンタルビデオの返却に行ったり。
改めて思ったのは人混みの中にいると気持ちが悪くってしまうな、と。
自分に関係のない他人がウロウロしてるのが視界に入るのが嫌だし、他人同士の会話が嫌でも耳に入ってくるのもなんかダメ。
目的があって、行動してる過程であればそれほど気にはならないのだけど、ふと気が緩んでしまうと外部ノイズに負けてしまう。
合わない事に合わせるのは、辛い。社会生活という枠の中にいる事の息苦しさよ。
スタンスのハッキリしない人
例えば会社説明会なんかの担当になったとしよう。
「嘘はつきたくない」と悩む。
それは別に良いだろう。嘘をつきたくないのならば、正直になればいいだけの話だ。
しかし、正直にもなりたくないと悩む。正直になったら何かまずい事が起こると予想しているのか。
じゃあ嘘をつけばいい。
どちらも選べずに悩む人が少なからずいる。
じゃあ投げ出せばいいじゃん。「会社から見た自分の評価が下がっても構わないので他の人にして下さい」と。
それも嫌なら個人的にどうしようもねぇなとしか思えない。
普段から自分の考え方の基準を設けていないと、いざ重要な選択肢が来た時に自分なりの判断ができなくなる。
半日や1日悩んでも答えが出ない問題の大半は、おそらく数日かけて考えても答えは出ないケースの方が多いと、俺は思っている。
ご老人
年寄りそのものは嫌いじゃないんだけれど、自分勝手な思い込みや判断で物事を決めつけている人が多いのが辟易しちゃうんだよな。
そもそもの考え方が古いし、TVや新聞の情報を鵜呑みにして裏付けとったり知識の更新をしようともしない。そういう姿勢がイラっとくる事もある。まぁそれは若い奴も似たようなものだが。知識先行で理解に至っていない。