Morning, Noon & Night

随筆みたいなもの。言えない事もあるけれど、出来うる限り人生オープンで生きていたい。

また買ってしまったCD

「一応の水準で鳴っているなら、装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ、名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して、これを言う。」五味康祐

もう色々とキツいです。

f:id:MasaruUruwashi:20170820185509j:image

ノラ・ジョーンズ「フィールズ・ライク・ホーム」 

f:id:MasaruUruwashi:20170820185510j:image

ノラ・ジョーンズ「ノット・トゥ・レイト」

買ってしまったCD

「一応の水準で鳴っているなら、装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ、名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して、これを言う。」五味康祐

予定外の出費。予定調和な人生はつまらんという観点から見れば、予定外もまた人生の楽しみと言える。

f:id:MasaruUruwashi:20170819185329j:image

長渕剛「BLACK TRAIN」

曲を聴いて惹かれてしまったからには買わない理由が無い。

www.youtube.com

f:id:MasaruUruwashi:20170819185333j:image

シュガー・ベイブ「ソングス」

気になっていた物を見つけてしまったからには買わない理由が無い。

金額ベースで製品購入を考えて悩む事の限界

どんな商品でもそうだが、金額ベースで考えると安物は「それなり」止まりだし、コストパフォーマンスが良いとされるものは「そこそこ」でしかない。

例えばオーディオにおけるレビューを見れば大抵が普及価格帯の物はみな一様に「価格を超えた」「クラスを超えた」という高評価の記事がほとんど目につくと思う。結局はそればかりだ。

クルマのチューニングにしても激安マフラーチューニングみたいな金額重視のものばかり特集され、本気で時間とお金を注ぎ込んでいる記事はある種の象徴でしかなく、自分とは関係の無い、違う世界の事だとし、自分も似たようなのをやってみようというバカは少ない。

オーディオも同様だが目に見えないからなお酷い。自分の明確なイメージを持っていないと迷走し、アレコレとオカルトも含め手を出した挙句、最終的には何も得られなかったと思う例だってあろう。費やした時間とお金の中から自分自身で「なにか」を拾い上げられないのだ。

我々庶民からすればクルマも家も一括で買う人はそう多くなかろう。しかしローンを組んででも買う人がいる。

趣味も行き着くところは同じだ。自分にとって欲しい・必要だから買う。それだけの事。そこに金額の大小や、ローン・一括の差異を考える必要は無い。重要なのは「(最終的に)払える金額であり、払う気のある金額か」だ。最初に予算の限度を立ててしまうのならばその範囲内でやればいいし、それで不満なら限度を上げるしかないのだ。スポーツ同様、自分の限界は自分で決めるべきだろう。高い高いと不満を言ったところで値段が下がる可能性は低い。ならば自分から手の届く距離へ移動した方が短い時間になるやもしれぬ。

映画「劇場版 "文学少女"」(2010年)

blu-ray版にて。

f:id:MasaruUruwashi:20170818205738j:image

公開当時、20代半ばの俺は劇場で観て泣いた記憶が蘇る。

機会が巡り、約7年ぶりに再び観たけれど、作品全体の印象はあまり変わらず「良い作品、好きな作品」だなと。

正直、未だに原作は未読である。完結しているのだから読むべきではあるのだが…。

派手さは無い作品なのでその分、落ち着いて観られる。そこはとても良いと思う。他にも、宮沢賢治を読み直すか、という気にさせてくれるのも良い。

BGMは伊藤真澄さん、主題歌はeufoniusであり、いずれも作品とのマッチングが素晴らしい。

物が多すぎて整理できない、という事がある。俺もそういうタイプだ。

他人にならば「不要なのを捨てればいいのに」みたいな言葉を言われる。ごもっとも。しかし、これは「必要な物が溜まっていった結果」でもある。極端に言えば不要な物など無い。昔から今の自分の人生を物で見える形にしているに過ぎない。

例え陽の目を見る機会が限りなくゼロに近かろうがそれは不要では無いのだ。もちろん、必要だという事でもない。

なぜこんな状態になるのだろう。

言ってしまえば人生という時間の積み重ねに対して、固定された部屋のサイズが許容量を超えるとこの現象と認識できるようになるのではないかと思う。逆に言えば部屋のサイズさえ大きくなるのであればある程度は物が整理されると予想してる。実証は難しいが。

型にはまるのも良し悪し

実家暮らしがマイナス要因にとられる事がたまにある。

俺にとっては実家を出れば自立と言えるのか? という疑問があるので適当に流してる。たまにイラっときて反論する時は「会社に雇われているのは自立と言えるのか?」とか言うが。

「早く結婚して子供を云々」というのも田舎じゃよくある光景で。んなこたぁ分かってるんだよ。今と昔の時代性を考慮した上でもその発言ならば思慮が浅いのでは? みたいな事を言うと嫌われます。物をあまり考えないで発言をする人が行き着くところは感情論だから会話が成立しない。結果的にいくらこちらが懇切丁寧に説明しても向こうの言い分は「なんでわかってくれないの」となる。

壊れたレコードのように「昔からそういうものだから」としか言えない人には何も通じません…。

*余談だが、壊れたレコードという比喩表現はレコードを知らない人に通用しないと聞く

俺と音楽CD 川嶋志乃舞「紅梅センセーション」

2

f:id:MasaruUruwashi:20170818004211j:image

川嶋志乃舞「紅梅センセーション」

1. 牡丹姫

2. 津軽あいや節

3. 秋田荷方節 -BAMBI ROCK-

4. 鼓蝶

5. 津軽じょんがらQ

6. 八木節

7. FIGHTERS

 ブログなんてのはwebを使ったlogでしかない。ゆえに更新頻度なんてものは管理者である自分自身で決めるものだ。筆が乗る限り書く。だからこそ更新が止まればそこで終わりなのだ。いつ始まるともいつ終わるともしれないからこそ、タイトルに回数を記載しないのはその辺の理由が大きい。しかし全く無いと、書いてる本人も分からないので本文の一行目に記載はしておくように努力したい。

 このCDについて話をするにはまず俺から見た川嶋志乃舞(以降しのぴー)の事を書く必要があり、またそこに辿り着く前にしまだあすかの話も書かなくてはならない。

 長く書いてもいいのだが、要点をかいつまんで書くと「しまだあすかを初めて見聴きし衝撃を受け、引き寄せられるように後日彼女の出演イベントに行ってみたら、そこで出演していたのが、しのぴーだった」のだ。

 しのぴーもまだ20歳の頃だったろう。その可愛く元気な外見とは裏腹に、津軽三味線の演奏は非常に安定していてこれまた衝撃的だった。後に、この時点で既にキャリアは約15年であり全国大会で4度の優勝をした日本一経験者と知り、合点がいった。

 個人的に津軽三味線というと、だいぶ昔に日立市で行われた吉田兄弟のコンサートに行ったのと、近年では盲人の津軽三味線奏者 踊正太郎 氏の演奏を何度か間近で見聞した事くらいしかなく、女性の津軽三味線奏者を生で見たのはしのぴーが初めてであった。(知識としては、はなわちえを知っていたものの、これまた後にしのぴーと同門である事を知る)

 それ以降、1年半少々か。茨城県内の出演イベントにちょくちょく応援に行ったりしていた。現在は諸々の諸事情が重なり約1年近くイベントに顔を出せていないのだが…。

 そして今回紹介の1stミニアルバム。全7曲構成。オリジナル曲と古典がおおよそ交互に、という形になる。この辺は彼女のポリシーである「温故知新」というところだろう。オリジナル曲は聴いてほしいし、そこから拡げて古典も是非聴いて知ってほしい。

 個人的に最も注目すべきはやはりオリジナル曲。

 「牡丹姫」はキラキラしたイントロから始まり、心地よいテンポで動き出す。曲の基準であろう津軽三味線と低音。それらはセンター位置で鳴り、シンバルや鍵盤でステレオ感を出している。これぞオープニングといった趣で、このアルバムの1曲目に相応しい。

 「鼓蝶」での要注目は「鼓」の音だと思う。自己主張は弱い感じだが、要所要所で顔を出してくる。曲自体もノリが良い。

 「FIGHTERS」を聴いてイメージするのは、良い感じで終わった映画のスタッフロール。明るい未来を予感させる。

 

 改めてアルバム全体を通して聴いて思った個人的にイマイチなところ

・2、3、5曲目は広いところで録音したのか反響音みたいなのを感じるのが少し気になった。

・7曲目は津軽三味線の音質がイマイチに聴こえる。

・1、4、7曲目で使われているバスドラムやベースっぽい低音は俺にはボワボワ音に聴こえるだけなのであんまり好みでは無い。

 津軽三味線をCDに落とし込むのは本当に大変だと思う。バチを思いっきり叩きつける力強い音と、ソフトタッチで爪弾く繊細な音。そのダイナミックレンジの広さを上手いことCDに入れるのは容易ではないだろう。素人目にも安易にコンプレッションをかけてしまったらナニコレ感が出やすいのはわかる。

 しかしそういうのは置いておいて(音質を語る前にまず曲を楽しむ、音楽が大事)、やはり機会があれば聴いてほしいし、ライブにも行ってみて生演奏を見てほしい。津軽三味線は生演奏を聴くのも醍醐味の一つだ。

 レーベルが変わる前の作品なので、おそらく再生産はないだろう。流通在庫のみと思われる。

 

Webサイト: 川嶋志乃舞 OFFICIAL WEB SITE

YouTubeSTAFF 川嶋志乃舞 - YouTube

地方イベントの先行き

地方のイベントが大変だなと思うのは、定期的に行わなければ定着しない点と、回数が増えるに従い地元からの出演者の層が薄く定番化して飽きてしまう可能性が高い事。予算も潤沢ではないので外からゲスト呼ぶのも大変な事。

目指すところは結果として客数を増やして末長く続くシステムの構築だが、その難易度の高さは過去から現在に至るまでで証明されている。かつて不祥事があったにも関わらず、不死鳥のように蘇ったイバライガーなんかは稀有な例だと思う。努力の賜物とはああいうのを言うのかもしれない。
何度も足を運びたくなるような出演者のレベルアップは当然として、広報や宣伝の他にイベント自体の演出やプロデュースなど裏方のレベルアップも必要だと思うんだよね…。

現場はわかっちゃいると思うけれど、現状はどうなんですかね。今後の策はあるのだろうか。

俺は特に音楽イベントが好きなだけに、一般客として肌で感じる事もあるから頭の片隅にそういう不安が常にある。

出演者もお客も、見知った顔ばかり続くのは大変良くないと思ってる。

俺と音楽CD しまだあすか「私。」

f:id:MasaruUruwashi:20170817212208j:image

しまだあすか「私。」

1. 黒が見える

2. 夜明け前

3. あの子

4. 病気になりたい

5. 歩む

 ブログで記録をつけはじめてそこそこの期間が経つけれど、オーディオシステムの機材や買ったCDばかりで、具体的にお前さん何を聴いてるのよ、と思う人も少なからずいると思う。俺が読者なら思ってる。だから手持ちのCDの中から適当にピックアップしてなにかしら思う事を書こうと思う。

 で、1回目は誰が良いのかと結構悩んだ。悩んだものの結論は出なかったので、今取り上げたいものを取り上げようと。自分が音楽を聴くというのを意識したところからスタートしてしまうと人生を追いかけ始め無くてはならないし、それでは今に追いつく前に飽きるのも目に見えている。現時点で自分と音楽に関する過去を振り返ってみて、思い出すのはこのCDを購入した日になる。2014年12月6日、水戸内原にあるイオンでの事。

 この日は歌手の佐咲紗花がイベントでミニライブを行うというので、俺はそれを本来の目的として会場へ来ていた。その前座として出演したのがこの、しまだあすかだった。

 地元茨城で活動しているといった紹介があり、「へぇー」くらいにしか思っていなかったのだけれど歌と演奏が始まってビックリ。ガツンと大きな衝撃を受けて「マジか…」という感想しか出なかった。今振り返ってなにかしらの説明をするのであれば「20歳にもなってない女の子が、なんという暗い歌を歌ってるんだ」的な感じと言えばいいのだろうか。少なくとも第一印象はそんな感じだった。

 そのままこのCDを購入。予定外ではあったけれど、今にして思えば安いもんだ。未だに時折聴いているし。

 5曲収録のミニアルバム。ギターとボーカルのシンプルな弾き語り構成。このCDに関してはそれで良いと思う。余計な付け足しは一切なし。ギターの巧緻も割とどうでもよく、あくまでボーカルを際立たせる役目をきちんと果たしている。

 1曲目は「黒が見える」。文字通りといえるのか、曲自体も暗く始まる。絶望か、希望が見えないだけなのか今ひとつわからない。その後もどことなく不安定さを思わせる曲が続く。4曲目に至ってはタイトルが「病気になりたい」だ。それだけでもどうかしている。歌詞にも「病気になりたい」が入り倒錯した精神状態とも言うべきか、歌い方も苦悩を表現している。しかしラストの5曲目はタイトルが「歩む」だ。苦悩の波が引いた時、もう一人の自分が前に進もうと言っている。希望が見つかるかどうかはわからない。だけど絶望に浸っていてはいけない。進むのだ、と。

 一個人の俺としては、このCDの完成度の高さは素晴らしいと思う。単純に楽器をジャカジャカと鳴らすノリの良さや派手さだけで色々なものを誤魔化している曲が少なからずある中で、歌としてきちんと勝負している点は好みでもある。このCDの制作に携わった人たちは彼女の良さをきちんと理解しているのだろうというのは伺える。特にスローテンポな曲、いわゆるバラード系というのはテンポが早い曲よりも実力が試されるものだ。全曲そうだということは気合い入れて作ったことが見て取れる。

 その反面、世の主流は前述したノリの良い曲だったり派手な曲だったりするので、この良さが受け入れられるかどうかという点については厳しいよな…とも。実際、どれだけの枚数を手にとってもらえたかについては知らないのでこれ以上は書きようがない。

 入手困難だが、機会があれば聴いてほしい。ライブ等で生の歌声も聴いてほしい。思い入れのあるミュージシャンなので、その辺はちゃんと書く。といったところで今回はここまで。

 

Webサイト: しまだあすか

微妙な立ち位置の人

馬が合ったり、趣味など共通の話題がある人とならば世間話をする気にもなれるが、そうでもない人と世間話「だけ」をする気になれないのはなぜだろう。

別に嫌ってるわけではないのだが、好いてるわけでもなく。話す理由も必要性も感じない人というのは少なからずいる。話が合わないのなんて話す前から分かっているのに、わざわざそれを再確認する無駄さが嫌なのかもしれない。

話が合う人ならば「どこが違うのか」が気になるんだけどねぇ。

程度の問題

テレビがつまらないと言われて久しい昨今。俺もまた基本的につまらないと思う派なのでほとんど見る事は無い。

一例を挙げれば、今時ゴールデンタイムにタレントのクイズ番組を見て何が面白いのか、といった感じである。

旅番組の面白さもわからない。他人が旅してるのをただ見るよりは、自ら近所を散歩でもした方が色んな発見があると思うのだけれど。

病気や健康番組なんかも似たようなもので、恐怖心を煽ってるような印象を受けるし、医者が出てきて解説するにしても1時間や2時間かける番組にしては内容の薄さに不満もある。民放なんかはCMがこまめに入るから話が途切れ途切れで理解しづらいしな。

しかしながら見る番組も少なからずある。科学・芸術(特に美術・音楽)系の番組は限られた時間で体系的にまとめているので見易さがある。1時間なら1時間、CM無しだから集中して一気に最後まで見られる。クラシック音楽も最終楽章まで安心して聴ける。NHKの利点はそれだと思う。

ArchLinuxデビュー

初めてArchLinuxデビューできた。

f:id:MasaruUruwashi:20170815010046j:image

インストールのハードルはあったが、思ったよりなんとかなった。Archは俺の中でGentooと並んで難易度高そうと勝手に思っているディストリビューションだったのでインストールできた事だけでも嬉しい。

あとは使い込んで学習を積み重ねていくのみ。

学ぶという事について

学習にせよ勉強にせよ、学生時代より今の方が学ぶ事が楽しいと思ってる。

学生時代にもっと勉強しておけば、と思う事も無いわけではないが、仮にしていたとしても楽しいと思えなかったのではと考える。基本的に教科書の範囲内の世界だしね。

今はもう気になったら深く追求もできるし、横に広げていく事もできる。なにより外国語の文献も見つけやすい。

そういうメリットがある分、仕事というそれほど面白味のない事に時間が奪われるデメリットに憤りもある。

生活のためとはいえ、睡眠時間を除く自由な数時間のために、1日の大半の時間を捨てている無駄さは辛い。

人の業

バカ正直に平凡なタイトルにするよりも、興味を引くようなタイトルの方がアクセス数が増える傾向にあるというのは自分ところの数字だけでも実感している。

まさに人の業の深さを感じる。人間の大半はバカな生き物なのだな。キャッチーなタイトルに引き寄せられない人はどういう対処してるのか謎。

責任の所在

f:id:MasaruUruwashi:20170813103824j:image

f:id:MasaruUruwashi:20170813103815j:image 

いつも思うのは、このケースの場合、前向き駐車をした事で事故が発生したとしても店は責任を負わないつもりのようだ。
リスクは全部お客が背負うのであれば、前向き駐車に従う理由はあるんだろうか?

そもそも前向き駐車が望ましいという理由ないし根拠が書かれていないのは何故だろう。書かないのか、書けないのか、それもわからない。