感性の違い
感性の違いというのはある。例えば一緒に同じ夕陽を見たとしても感じたり思ったりする事は違う。
そうかと思えば、全く関係ない人が全く別の事から同じ事を思ったりする事もあるから不思議だ。
俺が音楽ジャンルでジャズを初めて認識した時は物凄い衝撃だった。こんな凄い音楽が世にあったのか、と。曲によって力強さだったり、叙情的だったり。前者はビバップ、後者はモード・ジャズなどか。
ジャズで一貫して感じるのは「とにかく自由さを感じる」事。Aメロ、Bメロ、サビなどで時間は4分前後という枠に囚われていない事がむしろ良い。決まりきったフォーマットの利点は分かるけど、俺の好みはフォーマットへ無理矢理あてはめないところでもある。それはある意味で好みというよりむしろ憧れに近いかもしれん。
などといった事をお袋の反応を見て思うなど。
ウチのお袋にジャズを聴かせたところ芳しくない反応が返って来た。余り好きではないようだ。自由気ままに音が飛び跳ねているのが逆に気持ちが悪いと感じるらしい。
ネットと現実
ニコニコ生放送でえどふみの『さびざん” 3』を見ていて、えどふみの二人は匿名寄りの考えなのか、と。
俺はまぁ、ネットだろうが現実だろうが対人間とコミュニケーションを取るのであれば出来得る限り身元を明かしてこそフェア・対等と思ってるので賛同は出来かねる。
個人的な印象として、ネットと現実を分けたがる人ほどネット上では匿名である事を重要視してる気がする。匿名同士だからこそフェアという考えもあるが、それはなんか例えるならば囚人と面会人のような、ガラス越しの付き合いに俺は思えてしまう。
俺にとってネットは現実の対となるものか、現実に内包されたものと考えているので、分けるという発想がピンとこない。コインの表と裏という例えを持ち出すとしても、コインの表裏は不可分なので分けられない。別世界だというならば、なぜ現実からネットに移動して、ネットから現実に戻ってこないといけないのか。別なら戻る必要は無いだろうから、やはりここでも不可分となる。
価格の安い掘り出し物を見つけたら、買わずにいられない
「一応の水準で鳴っているなら、装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ、名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して、これを言う。」五味康祐
立ち寄る予定は無かったものの、クルマに乗り込んだら思いついたように「ブックオフ寄ってみるか」と引き寄せられるカタチで向かったら、掘り出し物を見つけてしまった。
丹下桜「MAKE YOU SMILE」
上原れな「THE Brilliant Best 〜タイアップコレクション〜」
今日の掘り出し物はこれ。SACDハイブリッド!
ずっと復帰を待ってます。(現在、病気療養中のため)
そして映像面では…
「戦闘妖精少女 たすけてメイヴちゃん」
戦闘妖精・雪風のOVAからスピンオフした作品。当時の感想は「原作がハードSFなのに、そりゃないわー。ぶっ飛びすぎじゃね」であり、当然買うこともなく。
レジ前に置いてある箱の中をなんとなく覗いたら、無造作に安売りされてる物たち中からふと目に止まってしまった。まさかお目にかかって手に取る日が来るとは…と、ある意味で感動している。
memo mcintoshインテグレーテッドアンプ
MA5200は変更無し。据え置き。
MA6700からMAC6700へ。オプションだったAM/FMチューナーが搭載済み。
MA7900からMA8900へ。
デジタルオーディオ処理がモジュール化され、将来的にモジュール交換でアップグレード可能。
MA8000からMA9000へ。
デジタルオーディオ処理がモジュール化され、将来的にモジュール交換でアップグレード可能。
考察
全モデルともカタログスペックで数値上の明確な性能向上は見当たらず。なので少なくとも本国で価格の変更は無いと思ってる。
日本で買う場合は当然レートの問題がある。昨秋に価格改定した時にどういう状況を想定し設定したかは不明だが、現在は1年前より6円前後円安。
この問題はMA5200で本国では$4,500なのが日本で買うと40万円なこと。本国より約10万円ほど安い。
売りたいと思ってるだろうこその強烈な値下げをしたわけだけれど、そんな無茶が長続きしないのは目に見えてるわけで、昨年11月に値下げして1年経つ今年の11月ごろに価格改定するかどうか気になる…。
考えがちぐはぐ
情報セキュリティ事故の資料が回って来たけれど、気をつけろと言われたところで、これどこまで効果あるんだろ。 事故起こしたら損失大きいだの面倒だの当事者だけの問題ではなく会社全体の責任になり、管理者責任の問題も出てくると書いてある。脅しか。 そういう書き方は「それがどうした」と返されたらそれ以上なにも言えないと思うのだが。会社を転々とする人にとっては会社そのものの存続はそれほど重要ではないと思うのだが。1つの会社にずっといる人ならビビっちゃうのかね。 そもそも入門証なんていう身体と物理的に切り離された物の時点で紛失リスクあるだろとは考えないのか。部屋の出入りは静脈認証なのに敷地内の出入りはアナログな入門証(単なる紙。磁気カードですらない)で良しとする根拠はなんだろう。金曜夜に紛失して月曜に報告は時代遅れだと書いてあり、それはごもっともであり言いたいことはわかるが、それを言い始めてしまうとそもそもたかが紙きれでしかない入門証を未だに使っている事もまた時代遅れだと思わない理由はなんだろうよ。
まず物理的な入門証が無ければ紛失すらしないわけでな。
まとめると、防止策にコストと時間を費やさずに、ただただ発生させるなと一方的に言うのは本当に正しいのかね。
人はミスをする生き物なのだから、人数減らすしかないんじゃないの。
年齢と嗜好の変化
歳を取り、色々経験を積んでいくと嗜好や価値観が変わる事もけっこうあるわけで。
例えばスポーツ。10代は学生なのもあり、好き嫌いに関係なく半強制でやらされたりする。20代は暇な時になんとなくTVで見る事もあったけれど、30代になった今では見る気すら無い。よほどの気まぐれでなければしたいとも思わない。
理由は簡単で「他人がスポーツしている姿を一方的に見て何が楽しいのか」というところ。スポーツはするものであって、見るものじゃない、と。今の俺は運動が嫌いなので自分からはスポーツをしない。結果としてスポーツを見る理由が無い。これが趣味でスポーツをしているのであれば、トップアスリートはどうしているのかとか興味も出ようものだが、そこにも行き着けていない。
頑張ってる人を見て応援して、感動し、勇気を貰う、というのは確かにあるけれど、個人的にそういう外的要因からの刺激でやる気が長続きする事はまれだ。多くはない。それはどちらかと言えば初動への影響が大きい。
ま、あくまで今の考えだから今後また変わる事もあるだろう。事によっては今好きなジャンルが嫌いになってるかもしれない。その可能性はある。そうじゃない可能性もまたある。
過去を捨てる事なく、柔軟に対応していきたい。人生は死ぬまで積み重ねなのだから。
先に譲歩するのはどちらだ
成果も出さずに色々要求するのはアレなのもわかるが、良くない環境に放り込んでおいて成果を出せと要求してくるのもアレでしょうよ。仮に成果を出したからと言ってこちらの要求が通る保証も無いし。
仕事提供側が働きやすい環境を作るのと、労働者側が働いて成果を出すのはどっちが先なのか。
インプットが良くなければ、当然アウトプットだって良くないのは理解していると思いたい。
なりたくないタイプ
ああはなりたくないタイプというのは誰しもあると思う。俺もある。
ここ20年近く目にするもので、ああなりたくないと思うタイプは「良いとされるものを信じないのに、駄目と評されるものを信じるヤツ」。
ダメとされるものを鵜呑みにして自分の目で直接確認もしないし、良いとされるものもまた自分で確認もしない。そういうタイプを俺は余り評価しない。
結局、そういうヤツは自分にとって良いものを探し求めているわけではなく、ただ単に一般的に地雷とされるものを避けることに必死でそれ以上でも以下でもない。リスクを取らないからリターンも無い。非常に面白くなく、つまらない。
石橋を叩いても渡らないやり方も一つなんだろうけど、最近の俺はダメなんだよな。年々、歳を重ねる毎に刺激が欲しくてリスキーな選択を取りつつある。若い頃のほうが比較的安定志向だったけれど、やっぱりそんなのはつまらんという事に尽きる。
映画「ベイビー・ドライバー」(2017年)
映画館近くへ立ち寄ったので、勢いで見てきた。
この映画を知ったのは先週末だったので、俺の中では超早い。予告編を見て、これは観なくてはならないと思った矢先。
本来の用事がすぐ済んで、小一時間しないうちに上映するスケジュールだったので観た。多分、この機会を逃したら次どうなるか分からんし。
で、感想。
洋楽とクルマと、あと映画が好きならまず観ろ。って感じだ。ワイルドスピードがシリーズ重ねてよくわからん方向へ向かってるのを嘆いていた人は観ても良い。単発でこういう作品なら俺はオッケー&ウェルカム。
アクションシーンに合わせて音楽があるのではなく、音楽に合わせて作られたアクションシーンというものがとても新鮮。アニメとかだったらプレスコと呼ばれるものだろうけど、無知な俺は実写でそういう取り組みした作品を知らん。
パンフレットは売り切れ、サントラはAmazonで品切れ中。マジか…。
帰り道は自然とアクセル踏んでしまうし、音楽もノリの良い曲を再生してみたり。楽しいね。こりゃあ円盤が欲しいぜ。
映画「東京無国籍少女」(2015年)
Netflixにて。
尊敬、というよりも敬愛すると言った方がいいのか、大好きな押井守監督の作品。
特に説明もなく始まり、静かに物語が進んで行くので、どこへ向かうのかと思っていたのだが(そもそもの前提として押井映画は100人中95人が理解できるような大衆向けの作品では無い)、ふとしたところからクライマックスに向かって始まるアクションシーンが素晴らしい。
現実の可愛い美少女が銃器を持って美しく戦うなんてのはフィクションでなければできないね。
ラストまで見ての第一印象は「結局、アサルトガールズ(戦う女性)じゃねぇか!」といったところ。
しかしそのアサルトガールズも元を辿ればゴーストインザシェルだしな…。
押井監督の映画はショートカットの強い女性がいてこそなのだと、新作を見るたびに改めて思う。
ベラベラと説明や解説をしている大衆映画に飽きたら押井映画を見ると良い。自分は何も考えずに楽しめる映画が好きなのか、観る側に考えさせる事を要求する映画が好きなのかが分かる。