Morning, Noon & Night

随筆みたいなもの。言えない事もあるけれど、出来うる限り人生オープンで生きていたい。

オーディオ巡礼

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五味康祐氏の50年前のオーディオに関するエッセイを読んでいて思うのは、今も本質的に変わっていない、と言う事。‬
結局は‪先人と同じ道を歩んでいるような気がして、それは果たして進歩してるのか否か…。‬

ティンパニーがうまく鳴れば、ティンパニーのよく聴こえるレコードばかりを集めたくなるのは人情だ。音楽鑑賞の本質から、それが、どれほど君自身を毒して行くかを言っておきたい。」
「一応の水準で鳴っているなら、装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ、名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して、これを言う。」て、49年前の言葉かよって思うくらいに今も生きてる名言だな…。

まだ序盤なのに俺は深い感銘を受けてる。

オーディオの皮肉さ

好きな音源をより良い音質で聴きたくて、機材をあれこれと変えて、良くなるたびに新たな感動が味わえるのがオーディオの楽しみの一つだと思っている。

ただ、完璧な音源はそう無いのが現実。

数十万、数百万以上かけたシステムで再生するよりも、数万円のシステムの方が聴き心地が良い場合もあるのがなんとも…。

システムが完璧に近づくほどに、演奏者・ボーカルの実力、録音環境の良し悪し、エンジニアリングやマスタリングなど音源自身の質が問われてしまう。

そうなると楽しくなくなるケースも出てくる。録音のミスやエンジニアリングのミス等が目立つ事も全く無いわけではない。

結果として良い音源と良くない音源に別れる。なんとなく良いと思っていた音源も、聴き込むと意外にそうでもなくなってしまったり。良くない音源は良くないという判断が下された時点で、頻繁に聴く事はまず無くなる。音が楽しめないから。

ピュアオーディオというある種の信仰のような呪いにかかってしまった人達は、高音質音源を最優先で追求するあまり、音楽は2番以降になってしまう。それは個人の範疇で収まる分にはまだいいが、周囲に押し付け始める原理主義者になったら害でしかない。

ほどほどが無難なのは確かにそうだが、キチガイになるほど踏み込まなければ分からない事も多くある。

気持ち悪くなってしまう

昨夜はホームセンターに行ったり、散髪に行ったり、レンタルビデオの返却に行ったり。

改めて思ったのは人混みの中にいると気持ちが悪くってしまうな、と。

自分に関係のない他人がウロウロしてるのが視界に入るのが嫌だし、他人同士の会話が嫌でも耳に入ってくるのもなんかダメ。

目的があって、行動してる過程であればそれほど気にはならないのだけど、ふと気が緩んでしまうと外部ノイズに負けてしまう。

合わない事に合わせるのは、辛い。社会生活という枠の中にいる事の息苦しさよ。

スタンスのハッキリしない人

例えば会社説明会なんかの担当になったとしよう。

「嘘はつきたくない」と悩む。

それは別に良いだろう。嘘をつきたくないのならば、正直になればいいだけの話だ。

しかし、正直にもなりたくないと悩む。正直になったら何かまずい事が起こると予想しているのか。

じゃあ嘘をつけばいい。

どちらも選べずに悩む人が少なからずいる。

じゃあ投げ出せばいいじゃん。「会社から見た自分の評価が下がっても構わないので他の人にして下さい」と。

それも嫌なら個人的にどうしようもねぇなとしか思えない。

普段から自分の考え方の基準を設けていないと、いざ重要な選択肢が来た時に自分なりの判断ができなくなる。

半日や1日悩んでも答えが出ない問題の大半は、おそらく数日かけて考えても答えは出ないケースの方が多いと、俺は思っている。

ご老人

年寄りそのものは嫌いじゃないんだけれど、自分勝手な思い込みや判断で物事を決めつけている人が多いのが辟易しちゃうんだよな。

そもそもの考え方が古いし、TVや新聞の情報を鵜呑みにして裏付けとったり知識の更新をしようともしない。そういう姿勢がイラっとくる事もある。まぁそれは若い奴も似たようなものだが。知識先行で理解に至っていない。

なんとも…

ニコ生でチャンネル入会している番組にて、出演者と視聴者達の「ワンピース」が面白いと話し合ってるのを見て、ドン引してしまう俺は酷く居心地の悪さを感じ、そっとブラウザを閉じる。

深呼吸をして、俺が毎月お金を払っているのは番組にであって、出演者個人では無い。だから個人の思想でこちらが惑う必要は無いのだ。スー、ハー。

これが世間で人気なんだなというのは理解できても、俺には具体的に何がどう面白いのかという、面白さのポイントが全く理解できないんだよな…。

そもそも俺はいい奴というのをそれほど信用していないというのがあるかもしれない。いい奴、人間的に優等生のような奴は、気を抜くとすぐ人を出し抜こうとする輩がいるので油断ならない。

不良的な奴もあまり信用できん。なんでもない平時は粋がってるけれど、非常時になると保身に走る奴がいる。

結果的に悪い奴同士の方が裏切りにくかったりする。互いに悪い事をしているという連帯感があり、文字通り「一蓮托生」になりやすい。自分が裏切らなければ相手は裏切らないし、相手が裏切らなければ自分も裏切らない。

仲間や友人のつながりは絆でもあるが、絆は互いを縛る鎖でもある。それがある事で有り難味を感じる事もあれば、重荷を感じる事もある。

人と合わない

プログラミングする人間が「プライベートはスマホで充分」と発言しちゃう時点で、あぁこの人とは価値観が違うな…となって終了。少なくともこちらから話す事が無い。
自宅でプログラミングやらゲームやらDTMやら動画編集に写真加工とか、物を作る事をしないのね…。

今年もひたちなかで婚活イベントやるようで

ひたちなか商工会議所で今年も婚活イベントをやるようだ。

http://www.hcci.jp

 

昨年は参加してみたけど、今年はちょっとな…。

スケジュールを見ても食事処とお茶する場所が違う程度で、全体の流れが昨年と変わらない印象。目新しさも工夫も感じ無い。

昨年は正直、男女40名ずつは多すぎで、市内とはいえバス移動にも時間かかって、無駄が多かったという感想くらいしかない。グループ分けをされるので多少気になる子が別グループになったら、もうね。

そもそも初対面の相手へ持ち時間1人1分で異性40人へ自己紹介てのがハードル高すぎだ。

壊れたレコードのように同じような内容の自己紹介を40回繰り返すのはアホにも程がある。かと言って、印象が気に入った人と話をして、別になんとも思わない人と話をせず1分経過するのを待つのも相手に悪いわけで。

結局、気持ちを持つだけではダメで、自ら積極的に動けない者はどうにもならねぇなと。上手く立ち回れる奴が勝つ。そういう意味では俺にとってとても難しい。

本日到着したCD

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RIRI 1st EP「I love to sing」

Youtubeで聴いた時にピンと来たので購入したのだが、CDで聴いたら更に驚いた。ウチのオーディオ環境でも凄さを感じる。マジか…。現役女子高生というのが信じられないんですが。この歌声は練習の積み重ねだけではどうにもならん天性のものを感じる。

今月下旬に2nd EPが出るので予約した。

 

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 AQUAPLUSPure2 Ultimate Cool Japan Jazz」

ハイレゾ版持ってるけれど、SACDで聴きたかったので。Pure3が発売したばかりなのに、なぜ2を買うのか。しかも1もまだ未購入だし。

理由は簡単。俺がJAZZ大好きだから。

感想は、うーん…。ハイレゾ版はSONYウォークマンNW-A16で聴いてるのだが、

我が家の環境である

SACDプレーヤー: pioneer PD-70

AVアンプ: DENON AVR-X2300W

スピーカー: Q Acoustics Concept 20J

電源フィルター: ISOTEK EVO3 Aquarius

ケーブル: 家電量販店で手に入る程度の物

の方が良い音。(当たり前だ)

Suaraの歌声はCDより繊細さや柔らかさが出ていて、素敵だ。とても良い。

ハイレゾダウンロード版では無かった、カバー曲「夢であるように」が入ってるのも良いね。

Pureシリーズの継続を願うよ。そしてAQUAPLUSSACDハイブリッド盤を出し続けて欲しい。気に入ったら買うからさ。

ももクロ

俺がももクロを知ったのはいつだったかなと、記憶を遡っていくと、あかりんがいた時期になる。今のZじゃなくて無印だった頃。

きっかけはニコニコ生放送で、なんとなく見た生放送番組だったかな。ももクロが先に出ていて、そのあとにミルキィホームズのお披露目の番組だったと記憶している。公へのお披露目イベントだったから、ミルキィホームズのパフォーマンスが緊張等でひどかったのは憶えてる。それはまぁ今回の本題ではないので別の機会があれば。

で、ももクロへの初印象はキャッチフレーズの「週末ヒロイン」てのが頭に残ってた。知名度低いアイドルが下積み頑張ってるんだね、という感じで特にどうこうというのは無かったな。

その次に見たのはその翌年の2011年だろうか。あかりんが抜けて水木一郎からZを授かったのをやはりニコニコ生放送あたりで見た気がする。気になり出したのはこの頃だろうか。

労働讃歌」はiTunesで購入したなぁ。

ま、そこで情報追う事もせず、たまにニュースで見かけて「頑張ってるな」くらいだった。そんなんでも紅白初出場時でかつての歌詞と同様にあかりんの名前を含めたのはちょっと感動した。

そして今日になって、ももクロがアイドル・ミュージシャンとしては珍しくライブDVDのレンタルを許可している事を知って、TSUTAYAで借りてきた。

ももクロ夏のバカ騒ぎ SUMMER DIVE 2012 西武ドーム大会」と

ももいろクローバーZ JAPAN TOUR 2013 「5TH DIMENSION」」を。

他のライブのDVDもパッケージ確認して気になった点が。ライブなのに音声はサラウンドじゃなくてリニアPCMのステレオだという点。DVDなのでロスレスDolbyやDTSは無理であり、サラウンドにするとロッシーになってしまう。そういう意味ではサラウンドにすると音質が犠牲になるわけで、それを避けるためにステレオだけれど音質重視のリニアPCMなのかなと。

 

ももクロ夏のバカ騒ぎ SUMMER DIVE 2012 西武ドーム大会」DVD感想

DVDだからとはいえ、結構な割合のカメラ画質が良くない気がする…。ライブ映像だとかMPEG-2といえど2012年じゃDVDでもそれなりに見られる映像にするノウハウあるはずなのに。個人的には撮影した時点で圧縮されてる映像を、編集後に再圧縮かけたんじゃないかと思うくらいに違和感。

 

ももいろクローバーZ JAPAN TOUR 2013 「5TH DIMENSION」」DVD感想

うーん…。夏のバカ騒ぎ2012西武ドームより暗いシーンが多いのに、比較するとブロックノイズは少ない印象。普通は明るければカメラ写り自体はノイズ減るわけで、暗がりで写すには感度を上げるしか無いが映像はノイジーになる。やっぱ上記の夏2012西武ドームはカメラ品質か録画品質で失敗したんじゃね?

 

音質は両方とも問題無いと判断。そこはさすがに。少なくともこの時期、キングレコードは映像面より音質重視だったのかな。

劇場アニメ「BLAME!」(2017年)

Netflixにて。

原作未読だけど面白かった。むしろ原作が読みたくなるねこれは。
なんと言うか、原作モノの映画化ってのは原作をなんとか圧縮したり、設定の一部だけ抜き出して映画にしようという作品が多い中、シンプルに、原作で描かれなかったエピソードを映画化すべきだ、というお手本のような印象を受けた。そもそも映画の尺が基本90分から120分以内なわけだし、それなりに単行本が出てる作品を時間内にまとめるのは無理。物語全体の一部を切り取ったとしても前後の流れが分からないので説明不足になる。

そういう考えでいくと、原作モノの映画化はオリジナルエピソードにした方が良いのではという気がしてくる。初見さんにも優しいし、原作ファンにも目新しさがある。品質さえ確保できれば、だが。

そういう話は置いておくとしても、俺にとっては面白かった。

OVA「装甲騎兵ボトムズ 赫奕たる異端」(1994年)

Netflixにて。

テーマとしては結構好きだ。

望まぬ戦争に駆り出される、戦争でしか生きられない者達が、戦争のない世の中へ辿り着く事を願って自らコールドスリープしたものの、32年後に目覚めさせられ、再び戦いの渦に巻き込まれてしまう。恋人のフィアナは亡くなり、戦いを終えたものの、再びどこかへ去ってゆくキリコ。

全体の流れは俺好み。世評は知らん。

TV

地元の家電量販店でも各社の有機ELパネルを使用したTVが展示されるようになってた。

さすがにハイエンドモデルだけあって美しい。

まぁ個人的にはまだ有機ELには手が出ない。

液晶TVにしても、40インチクラスでIPSパネル採用が今のREGZAに無いのが残念。

サイズ的に手頃な40インチのM510XはVAパネル、IPSパネル採用のBZ710Xは49インチ以上、C310は43インチでIPSパネルだがHDRに対応していないクソ仕様。

理想に近いのは昨年モデルのZ700X 43インチしかないが、あとは流通在庫のみなので急いで買いに走らねば手に入りにくくなる。

TVとPCモニタを複数台横に並べて作業してるので、VAパネルだと視野角に不満出てくるもんなぁ…。

どこに基準を引くか

俺は同じフロア内でも自分の関わってるプロジェクトに関係しない人には特に挨拶しない。

社会人としては挨拶が基本だというのはまぁシステム的に理解しているつもりだが、個人的には用もないのに挨拶だけが目的の挨拶をされるのは嫌いなわけで。

特に、帰りの「お先に失礼します」的な台詞は好きではない。帰れない自分の無能さを改めて感じさせる。自覚してる分にはともかく、他人に言われたくない。

自分がされて嫌な事は他人にしてはいけないという考えから見れば挨拶はすべきではない。俺にとっては。どう考えても、用もないのに他人から声をかけられたくないし、かけたくない。興味を持てない人と話をして得られる知見は少ないし。

社会の一員である前に、一個人であるのが優先しているのでそれは当然なのだけど、時折そこを理解できていないばかりか排斥しようとする輩がいるからめんどくさい。

多くの事柄について、多数派は少数派を排除しようとするが、少数派は多数派を容認しているのをわかっているのかいないのか。

とかくマイノリティには生きづらい世だ。