映画「美女と野獣」(エマ・ワトソン主演、吹替版、2017年)
上映回数が若干減って来たぽいので観て来た。
なんというか、個人的に文句の付け所がほぼ無い映画だったなと。
1991年に公開されたディズニーのアニメ版は今見ても素晴らしい出来なのだけれど、その26年後にディズニー自ら実写化して公開。作品の色が褪せるどころか、新しい魅力が発見できるような素晴らしい作品だと思う。
映像はとても美しいし、アラン・メンケンの音楽も素晴らしい。映画そのものの尺も長くなり、シナリオがより深く骨太になっている。
1991年アニメ版は約90分という尺もあり、テンポよく話が進んで飽きないままラストまで駆け抜けるのだけれど、今作は約130分と40分増えている。そこに追加のシナリオが入り、ストーリーに深みを増しているのだけれど、全体としてのテンポよく話が進む点がスポイルされていない。やはり約130分全編通してスムーズに話が進む。言わば、無駄なシーンが無いんだよね。そういう意味では昨年の「シン・ゴジラ」を思い出した。
今回は吹替版であったけれど、声優陣はとても良い仕事だったと思う。日本語版の歌も充分に素晴らしい。再度字幕版でも観たいし、最低でもblu-ray版の円盤は俺の購入予定にノミネート。UHD版が出るならなお良し。
1991年アニメ版が好きか、ディズニー映画が好きならもう観るしかないと思う。
[余談]
2014年公開のフランス・ドイツ合作版「美女と野獣」も思い出したけど、あちらはそもそもの原作をベースとしつつ大人向けと映画して良くできている。ただ、当時は予備知識無く観たので91年アニメ版と比較してコレジャナイ感があった。しかし比較する事自体が間違いなのだと今は思う。映像はフランス映画らしい美しさもある。
また、原作ファンをうならせるような実写化に必要なのは原作リスペクトと、実写化にあたってきちんとしたビジョンを描き、相応のコストを費やす事でもあると再認識。そこが邦画には無い点だ。予算は少ないからそもそも原作再現は無理であり、予算内に収めるため原作の設定を一部だけいじり回して使い、独自設定でツギハギ、映像や演出面は小手先でごまかす。結果として、それっぽい別物ができる。
不信感とか気狂いとか
アプリケーションを使って良い理由や、使ってはダメな理由が明記されていないホワイトリストって、何を根拠に信用できるって言うんだ…。
職場のフロア内で飲み物が飲めるのは一部のコーナーだけで、お菓子はOKだが食事はNGという謎ルールもある。食堂は人が多いので絶対に近寄りたくない俺は、「昼食にお菓子を食べる」か、「飲み物をたらふく飲んで腹を満たす」か、「そもそも昼食を摂らない」の三択があるけれど、どれもまともではないな。
理解できないルールを押し付けられる事の理不尽さは辛い。誰に問い合わせればいいのか全くわけわからないし。
邦画「ハッピーフライト」
2008年公開。
きちんと見るのは初めてかも。
飛行中に異常発生でUターンするだけという地味な物語を飽きさせないのは脚本の妙というべきか。
裏方スタッフ達の働きぶりを描いているのも良い。
エンディングクレジットでジャズを流してるのは個人的に好き。
矢口監督作品は「スウィングガールズ」「ロボジー」なんか観たけれど、派手さはないが人間模様とか良い感じの脚本を書く人だなという印象を持ってる。
勘弁して欲しい
メールで済む内容の話を、わざわざ相手の時間を直接奪う手法である電話してくる人は何を考えてるのかな…と。
相手としては直接言うべき内容かもしれんが、だったら内容を念のため後ほどメールでも再送すべきだと思うんだけど。
電話「のみ」では通話内容のエビデンスが残らないから、「言った・言ってない・忘れた」があるというのが理解できてないんだろうなぁ。
電話なんてベルが特許取得して軽く100年以上だし、電子メールだって使われ始めて半世紀以上経過してるのだから、別に新しくもなんでもないじゃないか。使うなというわけじゃないけれど、もっと色々便利なツールがあるのだから積極的に活用しようよ。と言いたい。
悪く言えば古臭いんだよね。
信頼関係とは
会社間で信頼関係が出来ているのと、社員・従業員個人として相手会社を信用・信頼できるかどうかは当然別だ。
向こうは契約前にこちらの経歴諸々を調べたりするが、こちらには相手会社の情報などいくら待っても来ない。情報を出さない相手を信用するなんてどうかしている。平和ボケで頭がおかしいのだろう。
会社としての歴史や知名度など個人には関係ない。あくまでこちらから見て信用できるか否かだ。
特に中小企業なんかは上場企業ではないので有価証券報告書の義務は無い。小さい会社が律儀に決算公告してるところも基本無い。そういう意味では会社の経営がどこまで健全かは怪しい。真実を知るのは一握りの者だろう。
だいたい秘密というのは「知る必要が無い」か「知られてはまずい」かのどちらかだ。性善説の狂信的な信者でなければ、だいたい後者の印象を持ってるはずだ。陰謀論はそういうところから出てる。
というわけで、帝国データバンク様様なのであり、お世話になってます。
会社と従業員・社員の関係
結果が全てでは無いけれど、物事を外から把握するには結果しか無い。外からでは過程は見えない。
会社にとって労働者は労働者でしかないのか。
単に仕事を割り振ってやれば終わりなんだろうか。
労働者に対して会社は適切なサポートをしてくれてるのか。
適切なサポートとはなにか。
新しい出向先が決まっても、通勤するための諸々の契約等を当人に丸投げするのはどこまで適切か。プライベートな時間を消費させても、それに対するコストは貰えない。それは適切か。
技術者が技術の勉強でカンファレンス等に行く事もままならない。それは適切か。
仮に劣悪な労働環境だったとしても、いち雇われ会社から契約会社経由で出向先会社へクレームを挙げたところできちんと改善されるのか。そもそもそんな回りくどい伝言ゲームで相手まで届くのか。
労働者も会社も、美辞麗句をどんなに並べても、結果が全てという事で、互いにめんどくさい事に相違は無い。分業が進みすぎて、歩み寄って話をする場も機会も時間も無さすぎる。
基準の問題
複数人以上いて似たような事をやっていれば、当然程度違いや優劣の差のようなのは出てくる。
その時に基準をどこに引くか。
下に引けば上の優秀な連中はもどかしさで不満を持つし、上に引いたら下のボンクラ連中が付いて来れない。真ん中に引けば上下の端にいる連中が消えて凡庸なのが残る。
会社は会社として、どこに線を引くかを表明しなければ、煮え切らない姿勢そのものに対して不満が溜まるわけでな。
選択権は無い
いくつかの会社で最悪な印象だったところでの仕事をさせられそうな流れなのでモチベーションとしては最悪に近い…。
ま、複数の会社を回った後で個人的にどの案件を希望するかという相談も来なかった時点で嫌な予感はしてた。
会社という組織に属する以上は選択権は無く、あるのは抵抗の意思表示として退職する事くらいだな。
名誉毀損についてのメモ
http://toyokeizai.net/articles/-/168111?page=2
名誉毀損が成立するケースとは
では、どのような書き込みが名誉毀損として違法と評価されるのでしょうか。最高裁の判例から引いてみましょう。
まず名誉とは、「人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な社会的評価」のことであり、この社会的評価を低下させる行為が民法709条に基づいて名誉を毀損させる不法行為を成立させ、損害賠償の対象ともなります。
ただし、社会的評価を低下させる行為であっても
ア) 当該情報が公共の利害に関する事実であること
イ) 当該情報の掲載が、個人攻撃の目的などではなく公益を図る目的に出たものであること
ウ) 当該情報が真実であるか、または発信者が真実と信じるに足りる相当の理由があること
の3つの要件をすべて満たした場合には、行為の違法性がないと評価され名誉毀損が成立しません。
さらに、社会的評価を低下させる事実を述べた場合ではなく、ある事実を基礎として意見ないし論評を表明したという場合も上記ア)~ウ)の要件を満たしていれば、表現が人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでないかぎり名誉毀損としての違法性はないとされるのです。
通常、企業に対する口コミやレビューは、多くの人の利害に関することですからア)の要件を満たしますし、純粋にその企業を攻撃する目的でないかぎりはほかの人に役立つ情報になりますのでイ)の要件も満たすことになります。
うーん…
会社だからとか、ビジネスだからとか、言葉の上ではわかるけれど、だからと言って頭数合わせで各社の過剰人員を融通されちゃうと現場の人間は長続きしないと思うんだが…。
まぁ、それでも構わないという人はいるのだろうし、それは嫌だという俺もいるのだろうけれど。
それはそれとしても、よくわからんところに一人連れて行かれて、いつの間にか周りだけで勝手に話が進んでしまってて、それは今日一番のイラっとしたことかな。
強引さもまたビジネスの手法の一つかもしれんが、それが通じる相手もいれば、通じない相手もいるよなぁ。