Morning, Noon & Night

随筆みたいなもの。言えない事もあるけれど、出来うる限り人生オープンで生きていたい。

最後まで言わない

 自分自身もそうだし、他の事もそうだけれど、問題点の有無を聞かれたら思うところは言うようにしている。

 ただ、解決策まで含めて提示するかどうかは最近気乗りしない。解決策まで提示してしまうと結局のところ「やる」のか「やらない」のかの話になってしまうわけで。

 「やらない」ならば提示する意味はないし、かといって鵜呑みにされて「やる」方向に行ってもそれが正解するかどうかはまた別問題だからさ。

 「やる」のであればアプローチを複数考えた上で、自分たちにとっての最適解を探さないといけない。それができるかどうかでまた違ってくる。

 俺は自分のことすらままならないのに、関心の薄い他のことに注力する気はあんまりない。気分転換にちょっと、というのもまだない。だから自分からは極力関わりたくないのだ。関わるとある程度は手伝ってしまう人情を持ち合わせているのが俺の良し悪し。

聴衆の質と、演奏側の質

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 今日は午後から茨城交響楽団の演奏を聴きに水戸芸術館へ。

 茨城交響楽団の演奏を聴くのは初めてだ。

 開場時間に間に合うよう行ったつもりだったのだが、地下駐車場は混んでいるし、広場はイベントやってるし、エントランスに行ったら入場待機列が出来ているしで驚いた。

 結果的に目視で席の9割5分近くは埋まっていたと思う。

 年齢層は比較的高めな印象。

 感想としては、概ね良かったと言える。約2時間の演奏が前売り券¥1,500で聴けるのはとても良い。その分、駐車場が1時間200円なのはどうかと思うが。個人的には駐車料金込みのチケットも売って欲しい。

 演奏技術そのものについては、門外漢の俺には上手い下手の判断がつかない程度には演奏できていると言える。楽団の歴史の長さは最低限、一定の質を維持している事の証明だろう。

 気になったのは演奏者自身の出す音くらい。例えば、楽器の取り扱いで、つると楽器本体が軽く当たった音や、コントラバス奏者が背の高い椅子に座って演奏してる最中に足を踏ん張るため、床に足をつけた時の音とか、後は椅子に座って演奏していて座りが悪くなったのだろうか、椅子を動かした時に椅子が音を立てたり。その辺の甘さはちょっと気になった。

 正直、アマチュア楽団なので、どこまでを許容すべきなのかという点が、ほとんど初めて見聴きする俺には全く分からない。

 交響楽団の問題だけでなく、我々聴衆側にも問題は少なからずある気もした。

 静かになりきれず、雑音が消えない。曲が終わり、指揮者の手が降りる前に拍手や掛け声などの反応をする。演奏中にうつらうつら、ウトウトと眠りこける。

 コンサートを聴く作法をきちんと教わったわけではないので、そういう聴衆側の態度は何が正しくて何が正しくないのかも全く分からん。

 

曲目

前半:

J.シュトラウス2世: <こうもり> 序曲 作品367

R.シュトラウス: オーボエ協奏曲 ニ長調 作品144

後半:

ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 <英雄> 作品55

 

 えーと、前半終了後、俺の近くの席にいた2組の親子は後半開始時に同じ席へ戻ってきませんでした。

 子供は知らないが、親の方はどちらも眠そうにうつらうつらとしていたからな…。ちゃんと聴いていたかどうか、ちと怪しい。

 眠くなる理由は分かるけどね。1曲4〜5分程度で起承転結のはっきりしているポップスばかりを聴いて育った人間にゃ、1曲10分前後は当たり前、全楽章やったら1時間くらいは当然で起承転結の変化が割りと緩やかなのが多いクラシックは刺激がなくてさぞつまらなかろう。普段から自分の意志で聴かないと耐えられないよ、そんなのは。

 

 ライブでもコンサートでも、演奏者がいて聴衆がいて、成り立つものだと改めて思った。いくら完璧な演奏をしたとしても、聴く側がきちんと受け止めてこそ質が高くなるのだろう。適当に聞き流したのでは台無しだ。それならば録音をし、完成された曲を自宅とかで好きに聴けばいいじゃないの。と思ったりもした。

 現実である以上、「聴いてもらっている」というのと「聴きに行ってるんだ」という歯車が合ってない場合もあるよな、と。

 言ってみれば、真剣に演奏しているのを、真剣に聴いているのか?

 別の言い方としては、見に行ってるのか、聴きに行ってるのか、とも言える。

 誇張するなら、見に行ってるのなら演奏なんてしなくていいし、聴きに行ってるのなら姿なんて見えなくたって構わないだろう。

 アマチュア楽団だから、気楽に聴くのだ。というのは分かる。間違いではないのは肯定する。が、正しいのか、となると甚だ疑問に変化する。

 アマチュア楽団といえど、人前で演奏するのだ。もちろん真剣であろう。それを気楽に聴いて良いものか?

 答えが出ないこの問題について考えている。

ひたちなか市の三反田小学校

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 茨城県知事選の投票に行ったら、母校である三反田小学校のグラウンドで工事をしていた。

 なにをやるのか分からないので、市役所のwebサイトを調べてみた。

議案および審査結果/ひたちなか市公式ホームページ

第50号 校舎改築工事: 6億3072万円

第51号 電気設備工事: 1億5737万7600円

第52号 機械設備工事: 2億304万円

 合計約9.8億円の工事のようだ。現在の児童数159名と将来を考慮した上でこの金額の投資が妥当か、データが少なくて俺には判断つかない。勝倉小学校も11.5億近くかけるようだ。

 

 しかしこのPDFファイルはなんなのだ。印刷した紙をスキャンしてPDF化する理由がわからん。手間ばかりかかって無駄が多いと思うのだが。

 印刷せずにそのままPDFファイルで出力しないのか。「落札」のみのハンコにどれほどの意味があるのだろう。入札額の右列に備考欄を作ってそこに落札と記入すればいいじゃないか。印刷したものにハンコを押して、それをスキャンしてPDF化したところで、それが本物である証拠はどこにもなかろう。

感性の違い

感性の違いというのはある。例えば一緒に同じ夕陽を見たとしても感じたり思ったりする事は違う。

そうかと思えば、全く関係ない人が全く別の事から同じ事を思ったりする事もあるから不思議だ。

俺が音楽ジャンルでジャズを初めて認識した時は物凄い衝撃だった。こんな凄い音楽が世にあったのか、と。曲によって力強さだったり、叙情的だったり。前者はビバップ、後者はモード・ジャズなどか。

ジャズで一貫して感じるのは「とにかく自由さを感じる」事。Aメロ、Bメロ、サビなどで時間は4分前後という枠に囚われていない事がむしろ良い。決まりきったフォーマットの利点は分かるけど、俺の好みはフォーマットへ無理矢理あてはめないところでもある。それはある意味で好みというよりむしろ憧れに近いかもしれん。

 

などといった事をお袋の反応を見て思うなど。

ウチのお袋にジャズを聴かせたところ芳しくない反応が返って来た。余り好きではないようだ。自由気ままに音が飛び跳ねているのが逆に気持ちが悪いと感じるらしい。

ネットと現実

 ニコニコ生放送でえどふみの『さびざん” 3』を見ていて、えどふみの二人は匿名寄りの考えなのか、と。

 俺はまぁ、ネットだろうが現実だろうが対人間とコミュニケーションを取るのであれば出来得る限り身元を明かしてこそフェア・対等と思ってるので賛同は出来かねる。

 個人的な印象として、ネットと現実を分けたがる人ほどネット上では匿名である事を重要視してる気がする。匿名同士だからこそフェアという考えもあるが、それはなんか例えるならば囚人と面会人のような、ガラス越しの付き合いに俺は思えてしまう。

 俺にとってネットは現実の対となるものか、現実に内包されたものと考えているので、分けるという発想がピンとこない。コインの表と裏という例えを持ち出すとしても、コインの表裏は不可分なので分けられない。別世界だというならば、なぜ現実からネットに移動して、ネットから現実に戻ってこないといけないのか。別なら戻る必要は無いだろうから、やはりここでも不可分となる。

野暮は百も承知

 基本的に俺は他人の発言はどうでもいいと思い込もうとしてるのだが、どうしてもツッコミをしたくなる発言をネットで見かけた。

 

 リベルタンゴを聴いて「JAZZだ」って書き込みしたお前さん、そりゃねーよ! いま演奏してる曲自体は普通のリベルタンゴじゃないですか…少なくとも俺にはJAZZ要素があるとは思えないのだけれど…。それとも俺がおかしいのか。

価格の安い掘り出し物を見つけたら、買わずにいられない

「一応の水準で鳴っているなら、装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ、名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して、これを言う。」五味康祐

立ち寄る予定は無かったものの、クルマに乗り込んだら思いついたように「ブックオフ寄ってみるか」と引き寄せられるカタチで向かったら、掘り出し物を見つけてしまった。

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丹下桜「MAKE YOU SMILE」

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 上原れな「THE Brilliant Best 〜タイアップコレクション〜」

今日の掘り出し物はこれ。SACDハイブリッド!

ずっと復帰を待ってます。(現在、病気療養中のため)

 

そして映像面では…

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「戦闘妖精少女 たすけてメイヴちゃん」

戦闘妖精・雪風OVAからスピンオフした作品。当時の感想は「原作がハードSFなのに、そりゃないわー。ぶっ飛びすぎじゃね」であり、当然買うこともなく。

レジ前に置いてある箱の中をなんとなく覗いたら、無造作に安売りされてる物たち中からふと目に止まってしまった。まさかお目にかかって手に取る日が来るとは…と、ある意味で感動している。

 

memo mcintoshインテグレーテッドアンプ

MA5200は変更無し。据え置き。

MA6700からMAC6700へ。オプションだったAM/FMチューナーが搭載済み。

MA7900からMA8900へ。

デジタルオーディオ処理がモジュール化され、将来的にモジュール交換でアップグレード可能。

MA8000からMA9000へ。

デジタルオーディオ処理がモジュール化され、将来的にモジュール交換でアップグレード可能。

 

考察

全モデルともカタログスペックで数値上の明確な性能向上は見当たらず。なので少なくとも本国で価格の変更は無いと思ってる。

日本で買う場合は当然レートの問題がある。昨秋に価格改定した時にどういう状況を想定し設定したかは不明だが、現在は1年前より6円前後円安。

この問題はMA5200で本国では$4,500なのが日本で買うと40万円なこと。本国より約10万円ほど安い。

売りたいと思ってるだろうこその強烈な値下げをしたわけだけれど、そんな無茶が長続きしないのは目に見えてるわけで、昨年11月に値下げして1年経つ今年の11月ごろに価格改定するかどうか気になる…。

任天堂のサマーセール

セール価格から更に20%オフという事で、ついつい買ってしまった…。

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ファミコン探偵倶楽部 PART II

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ブレス オブ ファイア II

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ファイナルファンタジーV

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ファイナルファンタジーVI 

 

ドラクエXIを始めた

PS4版を予約して買ったけれど遊ぶタイミング無く兄に渡していたものの、少しだけ遊んでみた。

ドラクエはIXもXも遊んでおらず、VIII以来だったが従来のシリーズの雰囲気を引き継いでるのは良い意味で素晴らしい。パッケージにも公式サイトにも書かれているのを見なかったが、きちんとサラウンドに対応している。SEもサラウンド。俺の感覚ではSEのサラウンドはちょっと誇張しすぎな印象で若干気になる。

 

PS4版の戦闘はシンボルエンカウント。倒すと敵が倒れるモーションもある。

ドラクエでこの演出はちょーっとなと。自分から攻撃を仕掛けると、RPGにおける殺戮と略奪が感じやすくて、慣れるまで辛いかもしれん。

CEDEC 2017、今年も行けず

毎年行きたいと思うだけで未だに実現できていないのが辛い…。

三宅陽一郎さんや後藤弘茂さんに、西川善司さんとか見聞に行きたいし、他の登壇者も気になるテーマが沢山。

今年はタイムシフト配信もあるが、安くはない金額だ。価値はあると言えるのはわかるけれど。

考えがちぐはぐ

情報セキュリティ事故の資料が回って来たけれど、気をつけろと言われたところで、これどこまで効果あるんだろ。
事故起こしたら損失大きいだの面倒だの当事者だけの問題ではなく会社全体の責任になり、管理者責任の問題も出てくると書いてある。脅しか。
そういう書き方は「それがどうした」と返されたらそれ以上なにも言えないと思うのだが。会社を転々とする人にとっては会社そのものの存続はそれほど重要ではないと思うのだが。1つの会社にずっといる人ならビビっちゃうのかね。
そもそも入門証なんていう身体と物理的に切り離された物の時点で紛失リスクあるだろとは考えないのか。部屋の出入りは静脈認証なのに敷地内の出入りはアナログな入門証(単なる紙。磁気カードですらない)で良しとする根拠はなんだろう。金曜夜に紛失して月曜に報告は時代遅れだと書いてあり、それはごもっともであり言いたいことはわかるが、それを言い始めてしまうとそもそもたかが紙きれでしかない入門証を未だに使っている事もまた時代遅れだと思わない理由はなんだろうよ。

まず物理的な入門証が無ければ紛失すらしないわけでな。

 

まとめると、防止策にコストと時間を費やさずに、ただただ発生させるなと一方的に言うのは本当に正しいのかね。

人はミスをする生き物なのだから、人数減らすしかないんじゃないの。

年齢と嗜好の変化

歳を取り、色々経験を積んでいくと嗜好や価値観が変わる事もけっこうあるわけで。

例えばスポーツ。10代は学生なのもあり、好き嫌いに関係なく半強制でやらされたりする。20代は暇な時になんとなくTVで見る事もあったけれど、30代になった今では見る気すら無い。よほどの気まぐれでなければしたいとも思わない。

理由は簡単で「他人がスポーツしている姿を一方的に見て何が楽しいのか」というところ。スポーツはするものであって、見るものじゃない、と。今の俺は運動が嫌いなので自分からはスポーツをしない。結果としてスポーツを見る理由が無い。これが趣味でスポーツをしているのであれば、トップアスリートはどうしているのかとか興味も出ようものだが、そこにも行き着けていない。

頑張ってる人を見て応援して、感動し、勇気を貰う、というのは確かにあるけれど、個人的にそういう外的要因からの刺激でやる気が長続きする事はまれだ。多くはない。それはどちらかと言えば初動への影響が大きい。

ま、あくまで今の考えだから今後また変わる事もあるだろう。事によっては今好きなジャンルが嫌いになってるかもしれない。その可能性はある。そうじゃない可能性もまたある。

過去を捨てる事なく、柔軟に対応していきたい。人生は死ぬまで積み重ねなのだから。

先に譲歩するのはどちらだ

成果も出さずに色々要求するのはアレなのもわかるが、良くない環境に放り込んでおいて成果を出せと要求してくるのもアレでしょうよ。仮に成果を出したからと言ってこちらの要求が通る保証も無いし。

仕事提供側が働きやすい環境を作るのと、労働者側が働いて成果を出すのはどっちが先なのか。

インプットが良くなければ、当然アウトプットだって良くないのは理解していると思いたい。

勘違い

メディアで高橋李依を見かける度に「あれー、落ち着いてるなぁ。ハイテンションキャラは封印したのかね?」と首を傾げていたのだが、ちゃんと確認したら村川梨衣と勘違いしていた事が判明。

若手はどんどん出て来るし、俺は歳を重ねて覚えが悪くなっているしで、いかんな。