Morning, Noon & Night

随筆みたいなもの。言えない事もあるけれど、出来うる限り人生オープンで生きていたい。

聴衆の質と、演奏側の質

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 今日は午後から茨城交響楽団の演奏を聴きに水戸芸術館へ。

 茨城交響楽団の演奏を聴くのは初めてだ。

 開場時間に間に合うよう行ったつもりだったのだが、地下駐車場は混んでいるし、広場はイベントやってるし、エントランスに行ったら入場待機列が出来ているしで驚いた。

 結果的に目視で席の9割5分近くは埋まっていたと思う。

 年齢層は比較的高めな印象。

 感想としては、概ね良かったと言える。約2時間の演奏が前売り券¥1,500で聴けるのはとても良い。その分、駐車場が1時間200円なのはどうかと思うが。個人的には駐車料金込みのチケットも売って欲しい。

 演奏技術そのものについては、門外漢の俺には上手い下手の判断がつかない程度には演奏できていると言える。楽団の歴史の長さは最低限、一定の質を維持している事の証明だろう。

 気になったのは演奏者自身の出す音くらい。例えば、楽器の取り扱いで、つると楽器本体が軽く当たった音や、コントラバス奏者が背の高い椅子に座って演奏してる最中に足を踏ん張るため、床に足をつけた時の音とか、後は椅子に座って演奏していて座りが悪くなったのだろうか、椅子を動かした時に椅子が音を立てたり。その辺の甘さはちょっと気になった。

 正直、アマチュア楽団なので、どこまでを許容すべきなのかという点が、ほとんど初めて見聴きする俺には全く分からない。

 交響楽団の問題だけでなく、我々聴衆側にも問題は少なからずある気もした。

 静かになりきれず、雑音が消えない。曲が終わり、指揮者の手が降りる前に拍手や掛け声などの反応をする。演奏中にうつらうつら、ウトウトと眠りこける。

 コンサートを聴く作法をきちんと教わったわけではないので、そういう聴衆側の態度は何が正しくて何が正しくないのかも全く分からん。

 

曲目

前半:

J.シュトラウス2世: <こうもり> 序曲 作品367

R.シュトラウス: オーボエ協奏曲 ニ長調 作品144

後半:

ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 <英雄> 作品55

 

 えーと、前半終了後、俺の近くの席にいた2組の親子は後半開始時に同じ席へ戻ってきませんでした。

 子供は知らないが、親の方はどちらも眠そうにうつらうつらとしていたからな…。ちゃんと聴いていたかどうか、ちと怪しい。

 眠くなる理由は分かるけどね。1曲4〜5分程度で起承転結のはっきりしているポップスばかりを聴いて育った人間にゃ、1曲10分前後は当たり前、全楽章やったら1時間くらいは当然で起承転結の変化が割りと緩やかなのが多いクラシックは刺激がなくてさぞつまらなかろう。普段から自分の意志で聴かないと耐えられないよ、そんなのは。

 

 ライブでもコンサートでも、演奏者がいて聴衆がいて、成り立つものだと改めて思った。いくら完璧な演奏をしたとしても、聴く側がきちんと受け止めてこそ質が高くなるのだろう。適当に聞き流したのでは台無しだ。それならば録音をし、完成された曲を自宅とかで好きに聴けばいいじゃないの。と思ったりもした。

 現実である以上、「聴いてもらっている」というのと「聴きに行ってるんだ」という歯車が合ってない場合もあるよな、と。

 言ってみれば、真剣に演奏しているのを、真剣に聴いているのか?

 別の言い方としては、見に行ってるのか、聴きに行ってるのか、とも言える。

 誇張するなら、見に行ってるのなら演奏なんてしなくていいし、聴きに行ってるのなら姿なんて見えなくたって構わないだろう。

 アマチュア楽団だから、気楽に聴くのだ。というのは分かる。間違いではないのは肯定する。が、正しいのか、となると甚だ疑問に変化する。

 アマチュア楽団といえど、人前で演奏するのだ。もちろん真剣であろう。それを気楽に聴いて良いものか?

 答えが出ないこの問題について考えている。