知らなかった
LinuxカーネルコミュニティでUSB 3.0のメンテナをしていたサラ・シャープさんがコミュニティを抜けていたようで。1年半も前に。
https://cpplover.blogspot.jp/2015/10/sarah-sharplinux.html?m=1
技術の優劣よりも、男女の性差がある種の壁になるのかもしれない。
ふと思った事
グラフィックスの良し悪しはゲームの本質的な面白さとは別だと、もう20年近く言われてきた気がするし、それはそれで概ね正しいと思うけれど、面白いゲーム同士ならばグラフィックスがリッチな方がより面白いのも事実な訳で。
一般のユーザーは面白いゲームソフトが遊びたいから仕方なくハードを買うのだ、とかつて山内さんが言っていた。これもこれで正しいけれど、時代の流れにより同じゲームが複数のハードで発売されるようになったので、むしろハードに固執してソフトを売る方がちょっとどうかねという感じがしないでもない。
言ってしまえばxbox oneやPlaystation 4のゲームは任天堂のゲーム機で動かそうとするとグラフィックスの品質が落ちるけれど、任天堂のゲーム機で動くゲームはxbox oneやPlaystation 4なら余裕で動くし、グラフィックスの品質を上げたりフレームレート向上してプレイ感覚をより良くする事ができてしまう。普及台数(ユーザー数)も多いので、販売機会も増えるし。
そう考えると、遠い未来に辿り着く頃にはかつてのセガと同じ様な道を歩く可能性も否定はできない。よなぁ…。
ま、それはそれとしても、ニンテンドースイッチは買うつもりでいるけどね。今は今、先の事は先の事。
「世界の亀山」が終焉(追記有り)
シャープの株価が3年半ぶりに400円台へ回復したと思ったら、コスト高から液晶TVの国内生産撤退で「世界の亀山」ブランドが終わりか。
個人的に液晶TVはゲーム用メインでしか使わないのでシャープの液晶TVに興味は無かったものの、「世界の亀山」は一世風靡して一時代を築いた事は知ってるから、そういう意味ではちと寂しい。
しかし、今の液晶TVはモジュール化してしまい、部品の組み合わせでそれなりのものが出来てしまうから、独自性も出しづらいし、その独自性も一般消費者には理解できないし、されないからな…。
だいたいTVの販売にしても日本国内と世界では違うわけで。海外は部屋がそれなりに広いから大画面が好まれるし、お金があればさらにグレードを上げられる。狭いと感じない部屋で小さいTVを使おうなんて思わないだろう。
日本は部屋が狭いから部屋に見合ったサイズを選ぶので製造コストから言えば割りに合わない。
結果として大画面+性能などの高付加価値による価格で売れない。小型画面で中身は上位グレードの性能にしたら日本ではそれしか売れなくなるし、ね。
世界的にTVを売ろうと思ったら、日本国内は低グレード品しか流通しない事になる。
話が逸れたけれども、生き残り続けるためには切り捨てる事もあるだろう。何かを得るには別の何かを捨てる必要がある。全てを背負い続ける事は無理なのだ。そうしないと新しい事もできやしない。
追記
国内産撤退を否定との事で。
競争力を高めるために新方針を立てる、という事かなと。
考え方の話
例えば、欲しいものがある。どうやって買うか。
・1年間お金を貯めて1年後に買おう。
・今回払いで買おう。
とか色々方法がある。
俺は断然後者派なんだよね。
理由としては
・1年後にお金が貯まっている保証はどこにも無い
・1年後に完済できる保証はどこにも無い
というのは俺の中で等価だから。1年後にまだ欲しいと思っているかどうか、というのもある。1年後に自分が生きているかどうかも同様。
ローンにすると金利は当然かかるデメリットがあるけれど、1年先行しているというメリットもある。
1日あたりの金額はいくらで、それは自分にとって許容範囲かどうか計算すれば良い。
物を買うという行為において、買い方次第ではお金で時間が買えるということだ。
好奇心の無い人には無理
自分に直結する携帯電話番号やメールアドレスも分かっていないのに、ネットにおける各種サービスを受けられると思っているのはどういうことか。
自分の事が管理できていないから、サービスに登録する事すらままならず、そもそも何が分からないのかすら分からない状態になり、それについて考える気もなく、無理解ゆえに何もできず、最後は嫌になって投げ出すわけで。
そういう人のサポートをしたところで、覚える気なんてそもそも無い人は同じ事を繰り返し続けるだけだよな…。
分からない物事に直面した時に「なぜ、なに、どうして」を思わない人にゃ何かを使いこなすなんて無理なんだよ。
ネガテイブとポジティブ
ネガテイブな話はポジティブな話よりも拡散しやすい。問題が無かったと冷静に報告する人よりも、問題が有ると騒ぎ立てる人の方が目立つのは当たり前。
それが全てであるけれど、それを考慮せずにネガテイブ要素だけ見て物事を判断する人が多い気がする昨今。
ニーア オートマタのバグ騒ぎを遠巻きに見つつ、俺は普通にプレイしてます。
まぁ、不具合出たら再現性の確認や公式への連絡をしない人が多いのかな。
最近はパッチが出しやすいのでバグで遊べるのもパッチが当たるまでだから、そういう意味では逆に貴重な事なんだけれど。
あとはまぁ、どこかの誰かから不具合の話が出たからといって安易に拡散してしまうのもなかなか。そういう人は自分で再現して確認したのかなと。
確認していない情報を拡散する人と、検証してから慎重に報告する人。どちらを信用するのかね。
目に付いた情報の真偽を確認も検証もしないで、単に自分に引っかかったから拡散という状況も数年見てるとさすがにウンザリしてくる。Twitterを以前ほど見なくなったのもそういう理由からだし、ニュースサイトも真偽という意味ではどこまで本当やら…とも思いつつ見ている。真偽よりも興味を引く内容が気になるのは人間心理として避けようが無いが。
ただまぁ、個人的には名前を出してる人と匿名では、内容が同じなら名前出してる方を信用したくなる。それはそれで固定してしまうとマズいのだけど。
少なくとも情報の拡散に関してはもっと慎重になるべきだろうとは思うね。思うだけ、ではある。
分からん
業務開始直後にバームクーヘンを頬張っていたら注意されてしまった。
飴とか飲み物は問題無くて、食べ物はNGの理由ってなんじゃろ。そこにどれほどの違いがあるのか俺には分からん…。仕事関係無いし。
客先だから気を使っていて、注意したがるのは分からなくもないけれど、注意したところでそれが業務にどれほど関係や影響あるというのだろう。
判断基準
主に作品と呼ばれる、数字で判断できない物の良し悪しの判断に時々迷う事がある。
直感は概ね正しいけれど、知りたいのは「なぜ良い(または悪い)と思ったのか」という根拠や理由なのだ。
そう思った理由としてはNetflixで、実の娘を地下室に24年間監禁し、近親相姦で子供を7人も出産させたという、とんでもないフリッツル事件を取り上げたドキュメンタリー作品の評価が星1つちょいくらいの評価だったからなのだけれども。
個人的にドキュメンタリー作品としてそれほど酷い内容とは思えなかったし、陰惨な事件ではあるので胸糞は良くなかったがね。
なので、多くの人は作品そのものの評価よりも、作品の内容を重視して評価しているのかなと。そんな気はちょっとしている。
面白いとかつまらないとか、そういう基準なのかなーと。
なればこそ、俺としては他人の評価はそれほど当てにしていないのであまり関係ないのが残念。
曖昧なルール
余計なアプリケーションの類はインストールするな、とは今時大抵の職場で言われそうなものだけれど、その線引きはとても曖昧だ。
メモリを勝手に増やすな、などというハードウェアを勝手にカスタマイズするのも禁じているところもある。その延長か、使い慣れた私物のマウスやキーボードも持ち込みにくい。これはこれで非効率だと思う。
しかし、共通してるのはせいぜいその辺くらいまでで、OSのチューニングをしてはいけない、というのは明確に無いし、OSが不安定になった時の対処法等をきちんと提示してるところはほとんどお目にかかったことがない。
ルールと呼ぶからにはそれなりに厳格であるべきだし、少なくとも指針になるものが必要だと思うのだけれど、意外にも田舎の中小企業ではそこまでの物が求められていないのか、単に質が悪いだけなのか。