考え方の話
例えば、欲しいものがある。どうやって買うか。
・1年間お金を貯めて1年後に買おう。
・今回払いで買おう。
とか色々方法がある。
俺は断然後者派なんだよね。
理由としては
・1年後にお金が貯まっている保証はどこにも無い
・1年後に完済できる保証はどこにも無い
というのは俺の中で等価だから。1年後にまだ欲しいと思っているかどうか、というのもある。1年後に自分が生きているかどうかも同様。
ローンにすると金利は当然かかるデメリットがあるけれど、1年先行しているというメリットもある。
1日あたりの金額はいくらで、それは自分にとって許容範囲かどうか計算すれば良い。
物を買うという行為において、買い方次第ではお金で時間が買えるということだ。
好奇心の無い人には無理
自分に直結する携帯電話番号やメールアドレスも分かっていないのに、ネットにおける各種サービスを受けられると思っているのはどういうことか。
自分の事が管理できていないから、サービスに登録する事すらままならず、そもそも何が分からないのかすら分からない状態になり、それについて考える気もなく、無理解ゆえに何もできず、最後は嫌になって投げ出すわけで。
そういう人のサポートをしたところで、覚える気なんてそもそも無い人は同じ事を繰り返し続けるだけだよな…。
分からない物事に直面した時に「なぜ、なに、どうして」を思わない人にゃ何かを使いこなすなんて無理なんだよ。
ネガテイブとポジティブ
ネガテイブな話はポジティブな話よりも拡散しやすい。問題が無かったと冷静に報告する人よりも、問題が有ると騒ぎ立てる人の方が目立つのは当たり前。
それが全てであるけれど、それを考慮せずにネガテイブ要素だけ見て物事を判断する人が多い気がする昨今。
ニーア オートマタのバグ騒ぎを遠巻きに見つつ、俺は普通にプレイしてます。
まぁ、不具合出たら再現性の確認や公式への連絡をしない人が多いのかな。
最近はパッチが出しやすいのでバグで遊べるのもパッチが当たるまでだから、そういう意味では逆に貴重な事なんだけれど。
あとはまぁ、どこかの誰かから不具合の話が出たからといって安易に拡散してしまうのもなかなか。そういう人は自分で再現して確認したのかなと。
確認していない情報を拡散する人と、検証してから慎重に報告する人。どちらを信用するのかね。
目に付いた情報の真偽を確認も検証もしないで、単に自分に引っかかったから拡散という状況も数年見てるとさすがにウンザリしてくる。Twitterを以前ほど見なくなったのもそういう理由からだし、ニュースサイトも真偽という意味ではどこまで本当やら…とも思いつつ見ている。真偽よりも興味を引く内容が気になるのは人間心理として避けようが無いが。
ただまぁ、個人的には名前を出してる人と匿名では、内容が同じなら名前出してる方を信用したくなる。それはそれで固定してしまうとマズいのだけど。
少なくとも情報の拡散に関してはもっと慎重になるべきだろうとは思うね。思うだけ、ではある。
分からん
業務開始直後にバームクーヘンを頬張っていたら注意されてしまった。
飴とか飲み物は問題無くて、食べ物はNGの理由ってなんじゃろ。そこにどれほどの違いがあるのか俺には分からん…。仕事関係無いし。
客先だから気を使っていて、注意したがるのは分からなくもないけれど、注意したところでそれが業務にどれほど関係や影響あるというのだろう。
判断基準
主に作品と呼ばれる、数字で判断できない物の良し悪しの判断に時々迷う事がある。
直感は概ね正しいけれど、知りたいのは「なぜ良い(または悪い)と思ったのか」という根拠や理由なのだ。
そう思った理由としてはNetflixで、実の娘を地下室に24年間監禁し、近親相姦で子供を7人も出産させたという、とんでもないフリッツル事件を取り上げたドキュメンタリー作品の評価が星1つちょいくらいの評価だったからなのだけれども。
個人的にドキュメンタリー作品としてそれほど酷い内容とは思えなかったし、陰惨な事件ではあるので胸糞は良くなかったがね。
なので、多くの人は作品そのものの評価よりも、作品の内容を重視して評価しているのかなと。そんな気はちょっとしている。
面白いとかつまらないとか、そういう基準なのかなーと。
なればこそ、俺としては他人の評価はそれほど当てにしていないのであまり関係ないのが残念。
曖昧なルール
余計なアプリケーションの類はインストールするな、とは今時大抵の職場で言われそうなものだけれど、その線引きはとても曖昧だ。
メモリを勝手に増やすな、などというハードウェアを勝手にカスタマイズするのも禁じているところもある。その延長か、使い慣れた私物のマウスやキーボードも持ち込みにくい。これはこれで非効率だと思う。
しかし、共通してるのはせいぜいその辺くらいまでで、OSのチューニングをしてはいけない、というのは明確に無いし、OSが不安定になった時の対処法等をきちんと提示してるところはほとんどお目にかかったことがない。
ルールと呼ぶからにはそれなりに厳格であるべきだし、少なくとも指針になるものが必要だと思うのだけれど、意外にも田舎の中小企業ではそこまでの物が求められていないのか、単に質が悪いだけなのか。
TV番組
TVにかじりつかなくなって軽く10年以上経つけれど今も不便さは感じない。むしろSVODが普及し始めた事で好きな時に好きなものを好きなだけ見られるHuluやNetflixなどの有難さを感じる。
TVにはTVの良さがあるのも事実だし、それが好きな人もいるのだろう。それが自分には合わないだけのことでもある。
個人的に見たいTV番組なんてのはニュースやドキュメンタリー、学問系などの知的好奇心を満たしてくれるものであり、まぁせいぜいTV番組全体の2割にすら届かないだろう。1割あるかな?
ワイドショーやバラエティにドラマなんかは、別に見なくても問題ないし、というのもあったり。
ニュースがあった事を伝えるだけで充分なのに、TVで見た事はあるけれどよくは知らないどこかの誰かがコメントしたところで「はぁ、そうですか」くらいしか感想が出ず。
バラエティにしても昔のように予算ぶっ込んで全力でバカなことをやる番組も無く、刺激が無い。大人しくコントをやったりトークに終始するのはまだいいとしても、なんでこのご時世にクイズ番組をやったりしてるのかの理由も分からない。それもまた自分がTV番組に求めているものではなく。
ドラマも同様で、つまるところ刺激が無い。比較するならばまだ海外ドラマの方が刺激的だ。
結局のところ、時代の変化で番組内容も変化し、自分が昔の感覚を求めているから齟齬が生じてしまってるんだよね。
TVは一方的に送りつけてくるものとしては今も昔も変わらないわけで、受ける側が無理に合わせる必要も無い。だから俺はTVから離れてしまったのだな、と思う。1割か2割のために、残りの8〜9割を犠牲にするつもりもないし、そこまでするほどのものかなと。
与えられるものをただ享受する人にとってはありがたいツールなんだろうけどな。何もしなくても何かは得られるのだから。
たまには見るのだろうけれど、たまにしか見ないだろうなぁ…。
読み返したくなって
昔に読んだ本を、ふと読み返したくなりAmazonのマーケットプレイスにて購入した。
「リナックスの革命」
なんだかんだでもう軽く15年半も前の本になる。俺も歳を食ったな…。その割には年季を重ねただけで、成長している実感がほとんど無いのだけれど。
中古で約150円。送料が250円だ。今となっては合計400円程度だが、価格以上の価値は今もあると俺は思っている。
同じ頃に発売した、リーナスの「それが僕には楽しかったから」は頑張って買った(どちらもハードカバー本なので当時バイトもしなかった学生の自分には両方買う資金がなかった)し、今も大事に所有している。
昔読んだ頃の気持ちを思い出すし、今読んでみても昔とはまた少し違う感じを持つのも悪くは無い。そして、それがまた次に繋がるようにしたい。
iPhoneの「友達を探す」機能
いやはや、便利だけどコレはちと勇気もいるね。
自分の行き先が後ろめたい場所でなければ問題ないけれど。
まぁ、この機能を使うときの共有する相手は本当に信用・信頼できる人だけにしたほうがいいです。
手持ちの音楽の音圧を自分の目で見てみた
昨今の日本の楽曲は音圧を上げているというのは聞いていたものの、自分できちんと確認はしていなかったので、手持ちの音楽を波形とスペクトログラムでちょっと見てみた。
適当に選んだのは1枚目がアート・テイタム「虹の彼方へ」、2枚目はKOKIAの「ありがとう」。3枚目は本当に適当に選んだ「いばたべ音頭」を。
さすがにアート・テイタムのは時代を感じる。おそらく軽く半世紀は前の音だ。リマスタリングせずにそのままCD化したのだろうか。余裕ありすぎて当然、音量は小さく感じる。
KOKIAは静かな曲が多いから変に音圧を上げていない感じで、個人的に好印象。ボーカルがメインで曲がサブという意味では当たり前かもしれない。
あまり一般に手に入らないであろう楽曲「いばたべ音頭」だが、マイナー曲といえど意図的に音圧を上げているのが見て取れる。当然、ボーカルと楽器の音量に差を感じにくい。
他にも、手持ちの曲を色々と見たのだけれど、洋楽と邦楽でハッキリ目に見えて音圧の扱いが違うのを実感として理解できた。
邦楽じゃポップスでも音圧を上げてるのに、洋楽ではロックでもそれほど音圧を極端に上げていない。エアロスミスやアヴリル・ラヴィーンでもな。
音圧を上げることの是非は色々とあるだろうし個人的には曲によるとしか言えないけれど、どうも邦楽は全体の傾向として馬鹿の一つ覚えに近いくらい音圧を上げるのが前提になっているように思えてしまう。少なくともそれはダメだろうと思う。なぜ上げるのか、なんのために上げるのか、どれほど意味や効果があるのかがわからない。
最後に、ショックだったのは某和楽器ミュージシャンの曲も音圧が変に高かったこと。よくわからんが、生演奏とDTMが混ざるとそうなるのだろうか。和楽器に対してDTMを合わせているのか、はたまた逆なのか分からないけれども。まぁ、和楽器のみの演奏でもピークの音圧が変に高く見える理由はなんじゃろなと。
和楽器二重奏なのに、ピークが変に高く見える謎。誰か説明してださるとありがたいです。
血圧計
高血圧を自覚し数日前から、集中的に手首式血圧計を使ってみて思った事。
上腕式に比べて手首式の血圧計はちょっと…というのは、測定精度そのものの問題というよりも、上腕に比べて手首の方が心臓と同じ高さに合わせづらい事が原因な気がする。バラツキが出やすいのはそれが理由だな。
ただ、血圧は常に変動してるから、どちらを使おうが絶対的に正しい数値は無いし、手首式でも測定前に最適な高さを教えてくれる機能がある物もある。更に言えば、同じ血圧計で数十回以上測っていればさすがに使い方も慣れるわけでな。
後は回数によるデータ量が多ければ結果的に誤差は丸められる。
その時その時の、数値の正確性も大事だろうが、もっと重要なのは全体としての傾向を掴む事だと思う。1回や2回測って終わりではないからな。
測定姿勢を決めたり、測定する時間帯を決めて測るのは、回数が少ないからこそ合わせる所は合わせて、不要な物を排除し、効率良く全体の傾向を掴むためにあるんじゃなかろうか。
マメに測ったり、常に測るのであればデータ量が多くなるので、更に細分化してケースやシチュエーションごとに傾向がわかるようになる気がする。