Morning, Noon & Night

随筆みたいなもの。言えない事もあるけれど、出来うる限り人生オープンで生きていたい。

なんか

基本的にyoutuberのチャンネルはあまり見ないのだけれど、稀に興味出た人のチャンネルは見たりする。

のだけれど、最近は長時間の動画が多くて短く簡潔に終わる内容で無くなってるのがなぁ…。

個人の好き嫌いで語れば充分なところを、最新ニュースに対して業界全体を見渡した批評的な話をし始まってしまうとなんかなぁと。

言ってる内容はごもっともで否定はしないけど、そういうありきたりな動画が見たいわけではないのだが、再生数はそれなりに多いからみんな望んでいるのかな…。

ISOTEK TITAN

行きつけのオーディオ屋に寄ったら、ISOTEK製品があった。

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写真のはISOTEK EVO3 TITAN

来週あたりに納品とか。

他の客向けにAQUARIUSも入荷したそうだが、週末納品に持って行こうと思ったら自分から取りに来たのだとか。個人的にはまずAQUARIUSを買うつもりで、上記の話も聞いていたからあわよくば実物が見られるのではと思っていたのだけれど、オーディオマニアは行動が早い。お金もあるから恐ろしい。数十万円程度なら平気で買うからな…。

物の価値

中古CDにしろ、中古ゲームソフトにしろ、古い作品の金銭的価値が下がって手に入りやすくなるのは個人的にとてもありがたい。

金額は下がっても、音楽そのものの価値や、ゲームそのものの価値が下がったわけではないからだ。

新作は常に出ているので、新旧問わず作品を買う人にとって、可能な限り網羅するためには少しでも入手金額は安い方がいい。全てを新品で買うのは当然無理だしね。新作は新品で買うのは当たり前としても、旧作は値段を下げてくれるか、中古で買うしかない。

ダウンロードはパッケージが無いぶん、物理スペースを食わないけれど貸し借りも出来ないし、配信停止した場合に再ダウンロードできるかも不明なので、遊び終わったら終わりという認識でないとちょっとリスクなんだよな。物理的なものでも、再生機器が壊れたら遊べないけどさ。

ハイレゾオーディオに思う事

データとしてのハイレゾオーディオが少しずつ広がっているんだから、CDもSACDとハイブリッドで出せば少しでも盛り返せるんじゃないかと思うんだけれど、大半の消費者はそうでも無いのかね。

個人的には、ポータブルなハイレゾオーディオよりも、まともな再生環境でCD再生した方が感動するケースもあるので、SACDはもっと増えて欲しいんだけど。

歴史もエンタメになる時代

‪歴史物作品は、いつ、誰が、なにを元に判断して行動に至ったか、が描かれていれば個人的に満足なのだけれど、そこに今の価値基準の解釈で必要以上に英雄視したり、お涙頂戴の感動モノに解釈したりすると途端に胡散臭く見える。‬

本日届いていたCD

栃木県から帰ってきたら昨晩注文したものが届いていた。

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中世・ルネサンス音楽への招待状

涙のパヴァーヌ ルネサンスリュート名曲集

グレゴリオ聖歌

 

 

ほんと、古い曲はCDが安くてとても買いやすい。ホントにありがたい。

個人的に日本の音楽業界はアルバム1枚3000円固定の商売を再検討して欲しい(安くなるならありがたいが、必ずしも安くして欲しいわけではない。業界が生き残るために必要なら値上げもやむなしだろう。買うかどうかはまた別だしな)

こだわりと意地は、やっぱり違うと思う

元号廃止論が少なからずあるのかな。

個人的には期限のない皇紀があれば、短期的な元号は要らないと思っている。俺が国内の歴史を覚えるのに抵抗がある理由の一つでもある。ハッキリ言って覚えるのが面倒だし、名称だけでは時系列がサッパリわからんわけで。西暦のように開始があって、現在まで1本の線を描いて順番に説明できている方が理解という意味ではシンプル且つ合理的だ。直感的に分かりやすい。

‪考えてみれば、今の日本は服装も洋装だし、結婚式も洋式で、トイレも洋式じゃね。食べ物も洋食が多い。‬
‪気持ちは分からなくも無いけれど、今さら「時間」に対して有限の元号を捨てて西暦のような洋式を頑なに拒否して何が得られるのか、というのも…。‬

つまんない意地で全員が不便さを被っても構わないのならそれはそれで有りだろうけども、それでいったい誰が得するのよ。

考え始めるとイマイチよく理解できていない事

誰か(他人)と似ていると言われるのは、本当に嬉しいのか?

自分が誰かに似てるのか。誰かが自分に似ているのか。卵が先か、鶏が先か。完全一致はそう無いので、互いに不完全な劣化コピーなのは、喜ばしいことなのか? よくわからない。

知名度のある人に似ていると言われて嬉しい人はどこが嬉しいポイントなのだろう。誰それよりも良いと言われないのは悲しくはないのか。自分で自分を謙遜したり卑下するのはともかく、最初から相手に他の誰かに劣っていると言われるのに近い気もするのだが、それは嬉しいのか。

近似か相似か知らんけど、似ているのは本当に良いことなんだろうか。

何台売れれば成功なのだろう

販売不振といわれたWii Uも、PSVitaも世界で1250万台程度売れたわけで。

まぁ、普及したかと言えば微妙だろうが、この規模でも足りないくらいには市場が大きいと見るべきなんだろうか。

DSはシリーズで1.5億台、3DSは6000万台、PS3だって8000万台で、PS4は5000万台を超えている。

なんだかんだでゲーム機はそれなりに売れている気がするし、ゲーム機が売れている国は概ね平和なんだろうなとなんとなく思う。いや、ゲーム機を売るくらいには平和なのかな。

古いPCを使い潰したい

兄の部屋で放置されていたThinkPad R400にUbuntu Linux 16.10をインストールしてBOINCに追加参戦。
キーボードは壊れており、USB端子も3個中2個が物理的に破損。光学ドライブもまともに動かず。もはやHDDも時間の問題かもしれないので、死ぬまで働いてもらう。


これでBOINC用ミニタワーPCが1台にノートPCが4台とAndroid端末が2台の計7台が24時間体制で稼動。それでも昔に比べれば省電力で、しかも電力あたりの性能比は向上してるし、昔ほどうるさくもない。素晴らしい。

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成人式の思い出

荒れる成人式のイメージができてどれくらい経つのか。

ふと自分の成人式の記憶を思い出してみたのだけれど、確かに余り良い思い出はないかな、と。

まず、市長のありがたくも100%つまらない話を聞かされるのがメインなので、これはもう確実にメリットなんてものは無い。

名前も顔もロクに知らず、直接会って会話もしたことのない全く興味すら抱けない他人の話を聞かされても、ありがたみは皆無だ。その発言の真意を知る頃には歳を重ねているし、その頃には何を話したかすら覚えちゃいない。式の余興もそれほど面白いものはそう無い。

また、久々に級友と会える機会だ、と言えば確かにそうなのだが、そもそも久々に会うくらいに付き合いが無いので、会っても話す事なんて特に無い。そもそも仲の良い級友は成人式に関係無く時折会うし、ね。

再開した事で再び交流が始まる、なんてケースも無くはないが、そんなものは本当に稀だ。基本的には無い。

学生時代に良い思い出の方が多かった人にとっては実り多く、良いかもしれないが、そうでない人にとってはむしろ嫌な記憶を無理矢理に引き出されかねない。

 

などと、考えてみると成人式に出るメリットが全く無い事に気付くわけで。

連絡手段が無かった昔ならいざ知らず、今時はあえて行く必要なんて無いよな。というのが俺の結論。行くだけ時間の無駄。