Morning, Noon & Night

随筆みたいなもの。言えない事もあるけれど、出来うる限り人生オープンで生きていたい。

老人の延命措置は難問

 身寄りのない生活保護の老人に、助かる見込みがほぼゼロにも関わらず延命措置。結果として死亡。かかった費用はン千万円。

 難しい。感情を排して考えれば、助かる見込みがほぼ無い人を無理に延命させる必要があるのか。

 事実として

・経済にプラス寄与している老人は少ない

・主に年金(税金)で生活している

・老人は増える一方

・税金を収めている側の人は減る一方

・現行システム維持のためには税収を増やすしかない(増税)

 などなど。

 感情的に「老人を殺すな」と怒る人は一定数いるとは思うけれど、「じゃあアンタがお金を出してやれ」と言って「わかった出す」にはそう簡単にならないんだよね。直接助ける側や、コストを負担する側にもなりたくないが、ただただ「老人を助けろ」と声だけ上げる。行動しないで理想だけ語る人が目立つんだよな。

 諸外国ではお金が無ければ治療を受けられない。実にシンプルかつ公平だ。逆にみんな平等に治療を受けさせようとしたら、莫大なコストを治療を受ける必要の無い人たちが負担しなければならない。少なくとも過半数の人々がそれに対して納得しているのかどうか。

 感情的・道義的に動き続けると、結果的に払いきれなかったコストのツケが自分たちに返ってくる。「自分」ではなく「自分たち」だ。他人を巻き込んでしまう。そういう事への話が無いんだよね。

 個人的には助けるな、というところも違うとは思うんだけれど、人はいずれ死ぬわけで。早いか遅いかの違いのみで、それ以上でも以下でもない。じゃあ適切な死ぬタイミングってなんだよ、と。助かる見込みが無いならば、そこで終わりとも言えるが、延命措置をしたら代わりにいつがそのタイミングなのか提示できるのか否か。提示もできなければそれはそれで無責任にも思える。

 延命措置のコストを背負わず、いつが死に時かも提示できないのに、死なせてはならんと声だけ上げる。少なくともそれが正しいと俺は全く思えない。