第二の人生とは
個人的に「第二の人生」という言葉があまり好きではない。
じゃあ第一の人生ってなんだったんですか? という疑問が出て来るから。それが良かったのならば第一の人生を続ける努力をせずに辞めてしまった理由が気になるし、良くなかったのならそこに費やした時間て限りなく無駄だったんじゃないの、とも思えてしまう。
そもそも第一と第二を分けるものはなんなのだろう。それは内的要因なのか、外的要因なのか。自分自身で節目としているのならば理解はできるが、外的要因ならばそれで自身は納得できているんだろうか。
節目として分けるのは確かにわかる。自分自身でも自分の歴史を把握しやすいから。ただ、単なる節目を人生とまで言ってしまうのは大袈裟だろうとも同時に思ってしまうのだ。人生の第二章とか第二部だったらまだしも、人生って大きすぎではと。例えば知識、経験、記憶、財産、人間関係など自分自身に関する事の大半や外的環境をゴッソリとリセットしたのならば人生と言ってもいいかもしれないが、大抵の場合において単に自分は変化なく、自身を取り巻く外的環境を変えただけで、他のものを引き継いでるわけだろう。
と考えると俺の中では一つの仮説が出てくる。
「第二の人生」とは「強くてニューゲーム」なのだ、と。これまでのものを引き継いだ上で、イチから新しく始める事だと。
なので、第二の人生を送るのであれば第一の人生もきちんとしておかないと第二の人生でも第一の人生と似たような所でつまずく可能性がある。