良し悪しの判断ができる事と、改善点の指摘ができる事は別
娯楽や美術などの文化や芸術は良し悪しの判断が一つの指標となる。
アニメなんかでも「神作画」とか「作画が酷い」と評される作品があったりする。
神作画はなぜ神作画なのか、酷い作画はいったいどこがどう酷いのかをきちんと説明されているケースは、発言そのものに比べるとおそろしく少ない。確かに見れば大体の判別はできるのだが。クソゲーにしても一体何がどうクソなのか説明しているケースはやはり多くない印象。
明確な定義が少なく、なんとなくの共通認識で共有している事が良くも悪くも個人的に「ある種の気持ち悪さ」みたいなものとして感じている。
褒めるのも貶すのもけっこうな事だが、曖昧な前提の上に成り立っているものは結局どこまでいっても曖昧なところから抜け出せないような気がして、個人の感想から抜け出すのも難しいのではないかと思っている。
そういうのを自覚しているならともかく、たまに無自覚な人がいたりして、そういう人ほど厄介。