Morning, Noon & Night

随筆みたいなもの。言えない事もあるけれど、出来うる限り人生オープンで生きていたい。

どんより気分

 春のクソめんどくさい経験から、あまり細かい仕事の話はしたくないのだが、黙っていても気分が悪いわけで。

 合議制は必ずしも悪ではないのは周知の通りだけれど、良い意味でも悪い意味でもグイグイ進める独裁者がいないので、動いていないわけではないけれど、どこまでアクティブなのかという意味ではまだまだ不十分な点も見受けられたり。

 「なんでお前は上から目線なのか」という点に関しては、俺が今所属している組織を一歩引いて見てるからだと思ってる。愛社精神とか帰属意識とかそんなものは薄く、行くあてがあるのならば他に行ってもいいやくらいに思ってるからこそ、俺なりの冷静さで内情を見た印象を元に判断してる。

 最初に方向性が決まっていてそれに合わせた人員を集めた組織と、人数が集まってから方向性を決め始めている組織では、どう考えても後者のほうが難易度高かろう。

 俺はあくまでリーダーの1人なのでそれでも面倒だという気持ちしか無い。そもそもリーダーなんてのはやる気があり、かつ適性がある奴がやるべきなのだ。表立ったやる気は無く、技術話が少しできる古株、というだけで任されるのは他に適任がいないという事実を考慮しても嬉しくはない。

 ただ、それなりのポストについたとしたら、それなりの結果を出そうとは思うタイプなので、ほどほどのポストで適当にやる事自体は嫌ではない。同時に上の方々に歯がゆさを覚える事もある(自分の棚上げは得意)ので、そこをどう解消するかが問題になるが。

 理想を追い求めるのならば偉くなるしかないけれど、偉くなったとしてもカタチだけの理想で中身が形骸化してしまえば意味が無いとも考える。中身を作って理想に持っていく事もまた難しい…。

DQ XIを遊んでRPGを少し振り返る

 PS4版のDQ XIを引き続き遊んでる。

 シンボルエンカウントの良し悪しは前に書いた通り。なかなか襲ってこないモンスター相手に、先制攻撃を仕掛けて襲いかかる勇者一行もようやく少しずつ慣れてきた。

 遊んでていて感じるのは、キャラクターボイスが無い事の良し悪しだろうか。

 声があるとキャラクターが独立してると感じるし、プレイヤーの見えざる手によってキャラクター達の行動を決める事でストーリーを観客目線で見える。使い古された言葉で言えば、インタラクティブ性のあるドラマや映画みたいなもの。

 声が無い場合も基本的には同じだが、キャラクターの声を想像する余地が生まれる。そして声が無い事でプレイに没入できるメリットはあるかな、という気がしている。BGMとSEのみだと、これに音声が加わるよりも集中できるてるなと個人的な実感がある。

 キャラクターに声が無い事で、キャラクターが必要以上に出しゃばらずストーリーに集中できるんじゃないか。ストーリーに沿ってキャラクター達が盛り上がっても、プレイヤーである自分がついていけずに置いてけぼりをくらう作品もある。

 キャラクターに声はあるがストーリーにも集中できるRPGとしては「いけにえと雪のセツナ」も入るのではなかろうか。雪の世界で、BGMはピアノ曲のみ(ほぼ全部)、音声は戦闘中だけだったかな。というシンプルさが逆に個性となってる。こちらも現在プレイ中。時間が足りない。

 あとはまぁ、カットシーンの多さだろうか。ドラクエと言えど要所要所でカットシーンが入るのがなんとも複雑。VIIIの時はカットシーンが多かったのか少なかったのか思い出せない。軽く12年は前だからな…。

 でも、洞窟で竜と遭遇して逃げ出す時はコントローラーを操作したのに、馬で転送装置のあるほこらへ逃げ込むシーンはムービーだったり。この演出の違いはふーんて印象。

 あくまでプレイ途中の印象なのでまず一度クリアするまで全体評価はなんとも言えないが、面白いことは面白い。

考え方次第で印象は変化する

 例を挙げれば日本ユニセフ協会だろう。

 周知の事実だろうが、寄付金の全額がユニセフに行くわけではない。おおよそ80%ほどだ。ユニセフに行かない20%は活動費(事務とか宣伝とか他色々の経費)として消える。

 2016年はおよそ177億円のうち約80%の144億円がユニセフへ送られた。

 これをどう思うかなんだよな。確かに約30億円はその数字だけ見れば額が大きい。しかしそれはマクロな視点でしか物を見ていないわけで。

 ミクロな視点で物を考えてみれば、例えば個人が1,000円募金したら200円ロスする代わりに800円は確実に届くとも言える。

 それでギャーギャー騒ぐお前さんはいったいいくら募金しているの?と聞いてみたいところではある。例えば10万円募金したら2万円は届かないわけで、それに怒るのは理解できる。でも1万円なら2,000円だし、上述したように1,000円なら200円のロスだ。そこに怒っているのであれば「あ、そうですか…」としか俺は反応できない。

 つまり、怒るのは高額な寄附をしている人か、全額届くと思い込んでいた人のどっちかだとは思う。前者は金額が少なくないだけに怒る理由は理解できるが、後者の理由で怒る人はロスする事を周知徹底すべきだと日本ユニセフ協会へ言及する必要はあるし、ロスに拒否反応するご自分は黒柳さんの口座に直接入れるしかないよね、と。ただ、ロスするという事を周知徹底するにはやはり宣伝等の諸経費がかかるわけで、結局約20%ロスするのは今のところどうやっても避けようがないんじゃないかと思う。

 自分にとって直接関係ある事に怒る事と、直接関係ないけれど怒る事は違うよなぁと思う今日この頃。どちらにせよ声の大きい人は目立つけど。

 ただ、思うのはそういう声が出ている原因はなんなのか自分の目で確認すべきでは、という気もしている。簡単に言えば、誰かが言ってる事実を鵜呑みにせず、団体の収支報告を見ればわかるよね、という話。事実を言ってるだけで内実を考慮していないケースも少なからずあるからな。

好きか嫌いかで言えば、好きになりにくいPS4版ドラクエXIのシンボルエンカウント

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 シンボルエンカウントで敵に気づかれる前に仕掛けると戦闘前に先制ダメージを与えて戦闘に突入。

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 左のやつが個人的に問題のキャラ「ズッキーニャ」。表情がイカしてる。
 こいつを倒すと…

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 こうなる。自分の槍が刺さって死ぬ。
 改めて試してみて気づいたけれど、この倒されるシーンは1秒未満くらいで時間的には長くない。おそらく戦闘のテンポも有るから長時間表示しない配慮はされているようだが、例え一瞬でも目に捉えてしまうと俺の中ではおよそドラクエとは思いたくないエグいシーンにも見えてしまう。それは俺がドラクエに対して勝手に持っているイメージがあり、それとの不一致で違和感になるだけの事とも言える。

 シンボルエンカウントって事は自分から先制攻撃を仕掛けて、モンスターを殺戮してアイテムやお金の略奪が目的だろう。という認識もあるので。

 他のRPG、例えばFF XVもオープンワールドだからシンボルエンカウントだけれど、モンスターは凶悪そうなデザインなわけで殺す事への抵抗は比較的少ないんだが、ドラクエの凶悪ではないある種の牧歌的なデザインのモンスターだと逆に妙な生々しさを俺は感じてしまう。多分、殺し足りないんだろうな。だから慣れていないのだろうとは思う。

 なぜか今回のドラクエXIに関してだけ変に拒否反応が強くて、自分でも上記の理由以外よくわかってない。謎。

 ドラクエVIIIの時はここまでのものってあったかなと考えたのだが、最後にプレイしたのは12年以上前だから思い出せない…。

 オープンワールドシンボルエンカウントはある種当然なので(ランダムエンカウントで戦闘画面への切り替えなんかしたらフィールドへ戻る時にもけっこうな長時間の読み込みが発生してしまう)、解決策は難しい。グラフィックの質を落としてメモリ容量を削減し、フィールド用と戦闘用でオンメモリにできるならそこそこ切り替え早いかもしれんが、そうなるとゲームデザインの段階で考慮しなくてはならなくなる。

 なんとも言えない後味の悪さを感じながら、俺は慣れるまでこのズッキーニャをひたすら殺し続けるのだろう。多分。この先も同等以上のシーンを見ても続けられる耐性をつけないとクリアなんてできねぇ。

 ゲーム全体としては面白いだけに、自分にとって引っかかる箇所が逆に目立つ。

良いものは全て似ている気がするし、良くないものはそれぞれの形で似ていない気がする

 「全ての幸福な家庭は似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。」と言ったのはトルストイだっけか。

 歌の上手い下手も似ているような気がする。

 上手い人達は格の違いはあれど、上手いという方向性では同じだ。しかし下手な人達は色々な理由で下手だ。リズムやテンポが合っていなかったり、ピッチや音程がおかしかったり。

 配信でランダムに適当な曲を再生していると色々な発見がある。上述したように歌の上手い人となると感動するし、下手な曲を聴くとなんで下手なんだろうかと考えたりもする。まぁ大体は曲と歌手の実力がマッチしていないのだという結論になるのだが。決まった曲に対して、抜擢された歌手の実力不足ではないか、と。これが先に歌手ありきならばある程度、歌手の実力に合った曲を作る事は可能だろう。

 しかし時として不思議なバランスの上で成り立っている曲だってある。イラッとくる曲も当然あれば、クセになる曲もあり、それらを知るのもまた楽しいと思う。 

ため息

俺個人としては組織の一員としてのリテラシーが低いのを自覚しているけれど、コンピュータ・リテラシーという意味では組織の上から数えた方が早い位置にいるのか。もしかして…。

2017年のKEK一般公開日

今日はKEKが一般公開する日なので、友人を誘って朝7時過ぎにつくばへ向かって出発。到着は予定時刻の9時丁度。

最大の目的は本日行われる4つの講演を全て聴講する事。

だったのだが、KEKで不要になった資料達の古本市があり、気がついたら気になるものをひたすら買い漁る事に…。

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下の紙袋が俺の購入した14冊。上は友人購入の18冊。俺はこの後に7冊を追加購入して合計21冊買ってしまった…。

今回の買い物で改めて俺は純粋数学や物理学よりも、コンピュータを利用した何か(システム)の方が興味が強いと改めて自覚。

で、講演を全て聴いて思ったのは、来場者は普通の人も多いのだなと。

席に座っておきながら講演が始まる頃には寝ていて、ほぼ話を聴いていなかったにも関わらず終わったら拍手してる輩がいたり、ホール内での飲食や撮影は禁止なのにしている輩がいたり。

一般人だからルールやマナーなど無い。

基本的に若い奴なんかは決まり事を知っていても意図的に守らない奴が多い印象だが、年寄りはルールやマナーについて関心がないため知らぬ存ぜぬで、そもそも話にならん印象が俺の中である。

これはどうしようもない。なにしろ「一般公開日」なのだから、ルールやマナーの遵守をお願いするしかない。悲しい。

で、KEKスパコンが今月いっぱいで退役という話を聞いたので見納めせねばならぬと、講演終了後に計算機科学センターへ。

そこで解説員と取得したデータをネットワークに繋いで世界中で計算資源を共有しているという話題で話が盛り上がるなど。これが超楽しくて、自分の会社や出向先の会社では味わえない技術話で久々に嬉しくなった。レベルの高いとか低いじゃなく、単純に会話のチャンネルが合いやすいってこういう事だよなと。職場じゃ仕事の話ばかりで技術の話なんて基本的にできないからな…。話を振っても大抵「よくわかんないです」て返ってくる。話題を振っても振られても何かしら返して会話のキャッチボールが続くのは本当に楽しい。…そう思うと現実が悲しくもあるのだが。

で、スパコンを拝みに行って来た。

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IBM BlueGeneがお目見え。素晴らしいね。

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BlueGene/Lのプロセッサ。Power PC系だっけか。

 

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こちらはHITACH SR16000が。POWER 7搭載マシン。

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POWER 7自体はこんな感じ。ヒートシンク一体でずっしりと重く、持った感じは軽く1kg以上かも。

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液冷で基板がじゃぶじゃぶと浸かっている装置も有り。

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過去に使用されたストレージ類。

開催時間の9:00〜16:30までフルに参加したのだけれど、楽しい時間はあっという間すぎて今から来年が楽しみ。

戦闘妖精少女 たすけて! メイヴちゃん

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 2005年当時の本作でも「アニメの製作本数が多い」というセリフを言っている。12年以上経過した今もその状態が続いてるのだから、業界関係者の頑張りには敬服するしかない。

 内情はどうあれ、回っていられる状態ではあるのだろう。外野としてはペースダウンしたり、止まったりしたら死ぬのでは…という気がしないでもないが。

 で、この作品。今となっては当時よく商品化できたなという印象しかない。

 当作品の位置付けとしては「戦闘妖精・雪風」というハードSF作品を原作に持ち、物語は独自の解釈にしたとは言え映像化にこぎつけたOVAがあり、そこからのスピンオフとして製作された。

 ハッキリ言って、ストーリーはあって無いような物だ。映像面でも主要キャラ以外は背景とみなしてよい。主要キャラも絵が安定しない所がある。

 数少ない楽しめる点としては

・声優が豪華(水樹奈々大原さやか清水香里中原麻衣沢城みゆき若林直美有島モユ岩田光央)

・台詞の中に原作者である神林長平の他作品ネタがチラホラ見受けられる

 くらいだろうか。

 OVAが硬派な雰囲気だっただけに、対照的におちゃらけた作品だ。しかも中身は無い。ファンアイテムとしか言いようがない。ファンの中でも更に人を選ぶ。これの内容を見て買う決意をする人はよほどの変わり者だろう。むしろ出せば無条件で買うくらいのファン向けだと思う。今から振り返れば当時新品で買った人は気が狂っていたと思われても仕方がない。もしくは何かに取り憑かれていたか。

 興味がある人だけ見ればいい。どう思うかは保証しかねる。

探偵 神宮寺三郎 GHOST OF THE DUSK

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まずは神宮寺三郎シリーズ30周年おめでとうございます。

25周年がパッとしない印象だったので30周年作品が発売されて嬉しい限り。

作品ごとに洋子くんのキャラデザが違うのも今や特徴の一つだよなぁと。自分の好きな洋子くんが見つかるはず。

サントラ発売して欲しいです。過去作のサントラは未だに聴いてる。

俺と音楽CD. Bob James「joy ride」

3

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 Bob James「joy ride」

1. Take Me There

2. Raise The Roof

3. It's All Right

4. Swingset

5. Joy Ride

6. What's Up

7. Fly By

8. The First Time

9. Strollin

10. Sweet Talk Me Now

11. Trade Winds

12. Bisso Baba

 予想した通り前回から日が経った。

 今回はボブ・ジェームスの「Joy Ride」の話。

 今はロックインジャパン開催地ということで茨城県ひたちなか市の認知度はそれなりにあるけれど、ロッキンの前にはオーシャンブルー・ジャズフェスティバルというフェスをやっていたのを覚えている人はどれだけいるだろうか。うろ覚えだが多分、7〜8回くらいやっていたと思う。

 俺が小学生の頃だろうか。第一回を行うというのを勝田祭りで知り、ジャズどころか音楽のおの字も知らないクセに興味だけ抱いたのは覚えている。しかし小学生にはチケット代なんて買えるわけもなく、なんとなく行きたいだけの理由で親にねだるわけにもいかず、ずーっと行けずじまいだった。

 転機が訪れたのはジャズフェスティバル開催最後の年。当時の俺は高校二年か三年の頃。33歳を過ぎた今も付き合いのある友人(*1)が「チケット余ってるんだけど、行かないか?」と誘ってくれたのがきっかけだった。

 その事は今振り返っても感謝しか無い。あれがあったからこそ音楽面で今の自分があると断言できる。真夏の晴天の中、夢中で聴いた記憶はハッキリしている。まぁ、具体的な内容までは覚えていないが。

 その中でも二組だけ名前と当時見たという記憶が今も残っている。それが今回のボブ・ジェームス トリオと、トランペッターの日野皓正だ。

 日野皓正は炎天下の中、顔を真赤にしながら物凄く鬼気迫る演奏だった印象しかない。

 ボブ・ジェームスは登場してから退場するまで演奏した曲全てにおいてとにかく衝撃的だったとしか言いようのない印象が残ってる。その影響で秋口から新年明け頃までの半年未満、独学で自宅の電子ピアノを練習したりした。

 とにかくフェスで聴いた曲を思い出したくて、しかし曲も曲名もわからん。目についたボブ・ジェームスのCDを買ったのが今回のCDとなる。購入は2002年頃だと思う。

 結論を言えば、ジャズフェスティバルで聴いた曲は無かった。音楽ジャンルとしてもジャズではなくフュージョンだ。しかし曲は俺好み。そうして俺の中でフュージョンへの扉が開いた事になる。そこからボブ・ジェームスをちょこちょこチェックしたり、リーダーを務めるFourplayのCDを買ったり。もちろんFourplayも大好きだ。

 現在はフュージョンからジャズへ回帰し、拡げたりしているので、そういう意味でもボブ・ジェームスは俺の中のフュージョン・ジャズ好きのルーツと言える。当blogのタイトル「Morning, Noon & Night」というのも彼のアルバム名から来ている。

(*1)この友人は俺にオーディオの道へ引き込んだ張本人でもある。俺は最初カーオーディオを軽く、というつもりだったが、その後いつの間にやら本格仕様になり、とうとう自らホームオーディオの世界へ踏み込んでしまった。

 

BOB JAMES | artist | musician | legend

違いはなんだ。

声優の米澤円が結婚&妊娠報告という事で、それ自体はとてもめでたい。

相手の一般人男性はどうやって知り合ったのかがとても気になるところ。どうせ「ご縁」なんだろうけどさ。その「ご縁」を引き寄せる「運」はどこから来るのだろう。

羨ましい気持ちが無いわけではないだけに、何が違うのか、何が足りないのか純粋に知りたい。

結婚したくないわけではないが、平日の職場は同性しかいないし、休日は出かけたい時に出かけたい場所にしか出かけないので異性と会う機会なんて基本的に無いからこそ余計気になる。

今月何枚目だ…

「一応の水準で鳴っているなら、装置に金をかけるよりレコードを1枚でも多く買いたまえ、名曲を聴きたまえ。さんざん装置に金をかけた私が自分の愚かさを痛感して、これを言う。」五味康祐

今月も終わりというのにまたCD購入。 

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ジェニファー・ウォーンズ「THE HUNTER」

まずオリジナルである1992年発売のCD版。

最後まで言わない

 自分自身もそうだし、他の事もそうだけれど、問題点の有無を聞かれたら思うところは言うようにしている。

 ただ、解決策まで含めて提示するかどうかは最近気乗りしない。解決策まで提示してしまうと結局のところ「やる」のか「やらない」のかの話になってしまうわけで。

 「やらない」ならば提示する意味はないし、かといって鵜呑みにされて「やる」方向に行ってもそれが正解するかどうかはまた別問題だからさ。

 「やる」のであればアプローチを複数考えた上で、自分たちにとっての最適解を探さないといけない。それができるかどうかでまた違ってくる。

 俺は自分のことすらままならないのに、関心の薄い他のことに注力する気はあんまりない。気分転換にちょっと、というのもまだない。だから自分からは極力関わりたくないのだ。関わるとある程度は手伝ってしまう人情を持ち合わせているのが俺の良し悪し。

聴衆の質と、演奏側の質

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 今日は午後から茨城交響楽団の演奏を聴きに水戸芸術館へ。

 茨城交響楽団の演奏を聴くのは初めてだ。

 開場時間に間に合うよう行ったつもりだったのだが、地下駐車場は混んでいるし、広場はイベントやってるし、エントランスに行ったら入場待機列が出来ているしで驚いた。

 結果的に目視で席の9割5分近くは埋まっていたと思う。

 年齢層は比較的高めな印象。

 感想としては、概ね良かったと言える。約2時間の演奏が前売り券¥1,500で聴けるのはとても良い。その分、駐車場が1時間200円なのはどうかと思うが。個人的には駐車料金込みのチケットも売って欲しい。

 演奏技術そのものについては、門外漢の俺には上手い下手の判断がつかない程度には演奏できていると言える。楽団の歴史の長さは最低限、一定の質を維持している事の証明だろう。

 気になったのは演奏者自身の出す音くらい。例えば、楽器の取り扱いで、つると楽器本体が軽く当たった音や、コントラバス奏者が背の高い椅子に座って演奏してる最中に足を踏ん張るため、床に足をつけた時の音とか、後は椅子に座って演奏していて座りが悪くなったのだろうか、椅子を動かした時に椅子が音を立てたり。その辺の甘さはちょっと気になった。

 正直、アマチュア楽団なので、どこまでを許容すべきなのかという点が、ほとんど初めて見聴きする俺には全く分からない。

 交響楽団の問題だけでなく、我々聴衆側にも問題は少なからずある気もした。

 静かになりきれず、雑音が消えない。曲が終わり、指揮者の手が降りる前に拍手や掛け声などの反応をする。演奏中にうつらうつら、ウトウトと眠りこける。

 コンサートを聴く作法をきちんと教わったわけではないので、そういう聴衆側の態度は何が正しくて何が正しくないのかも全く分からん。

 

曲目

前半:

J.シュトラウス2世: <こうもり> 序曲 作品367

R.シュトラウス: オーボエ協奏曲 ニ長調 作品144

後半:

ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 <英雄> 作品55

 

 えーと、前半終了後、俺の近くの席にいた2組の親子は後半開始時に同じ席へ戻ってきませんでした。

 子供は知らないが、親の方はどちらも眠そうにうつらうつらとしていたからな…。ちゃんと聴いていたかどうか、ちと怪しい。

 眠くなる理由は分かるけどね。1曲4〜5分程度で起承転結のはっきりしているポップスばかりを聴いて育った人間にゃ、1曲10分前後は当たり前、全楽章やったら1時間くらいは当然で起承転結の変化が割りと緩やかなのが多いクラシックは刺激がなくてさぞつまらなかろう。普段から自分の意志で聴かないと耐えられないよ、そんなのは。

 

 ライブでもコンサートでも、演奏者がいて聴衆がいて、成り立つものだと改めて思った。いくら完璧な演奏をしたとしても、聴く側がきちんと受け止めてこそ質が高くなるのだろう。適当に聞き流したのでは台無しだ。それならば録音をし、完成された曲を自宅とかで好きに聴けばいいじゃないの。と思ったりもした。

 現実である以上、「聴いてもらっている」というのと「聴きに行ってるんだ」という歯車が合ってない場合もあるよな、と。

 言ってみれば、真剣に演奏しているのを、真剣に聴いているのか?

 別の言い方としては、見に行ってるのか、聴きに行ってるのか、とも言える。

 誇張するなら、見に行ってるのなら演奏なんてしなくていいし、聴きに行ってるのなら姿なんて見えなくたって構わないだろう。

 アマチュア楽団だから、気楽に聴くのだ。というのは分かる。間違いではないのは肯定する。が、正しいのか、となると甚だ疑問に変化する。

 アマチュア楽団といえど、人前で演奏するのだ。もちろん真剣であろう。それを気楽に聴いて良いものか?

 答えが出ないこの問題について考えている。

ひたちなか市の三反田小学校

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 茨城県知事選の投票に行ったら、母校である三反田小学校のグラウンドで工事をしていた。

 なにをやるのか分からないので、市役所のwebサイトを調べてみた。

議案および審査結果/ひたちなか市公式ホームページ

第50号 校舎改築工事: 6億3072万円

第51号 電気設備工事: 1億5737万7600円

第52号 機械設備工事: 2億304万円

 合計約9.8億円の工事のようだ。現在の児童数159名と将来を考慮した上でこの金額の投資が妥当か、データが少なくて俺には判断つかない。勝倉小学校も11.5億近くかけるようだ。

 

 しかしこのPDFファイルはなんなのだ。印刷した紙をスキャンしてPDF化する理由がわからん。手間ばかりかかって無駄が多いと思うのだが。

 印刷せずにそのままPDFファイルで出力しないのか。「落札」のみのハンコにどれほどの意味があるのだろう。入札額の右列に備考欄を作ってそこに落札と記入すればいいじゃないか。印刷したものにハンコを押して、それをスキャンしてPDF化したところで、それが本物である証拠はどこにもなかろう。