Chromecastが欲しい今日この頃
第3世代のApple TVがもう手に入りづらくなっているので、新しいChromecastが欲しい今日この頃。
歴史もエンタメになる時代
歴史物作品は、いつ、誰が、なにを元に判断して行動に至ったか、が描かれていれば個人的に満足なのだけれど、そこに今の価値基準の解釈で必要以上に英雄視したり、お涙頂戴の感動モノに解釈したりすると途端に胡散臭く見える。
こだわりと意地は、やっぱり違うと思う
元号廃止論が少なからずあるのかな。
個人的には期限のない皇紀があれば、短期的な元号は要らないと思っている。俺が国内の歴史を覚えるのに抵抗がある理由の一つでもある。ハッキリ言って覚えるのが面倒だし、名称だけでは時系列がサッパリわからんわけで。西暦のように開始があって、現在まで1本の線を描いて順番に説明できている方が理解という意味ではシンプル且つ合理的だ。直感的に分かりやすい。
考えてみれば、今の日本は服装も洋装だし、結婚式も洋式で、トイレも洋式じゃね。食べ物も洋食が多い。
気持ちは分からなくも無いけれど、今さら「時間」に対して有限の元号を捨てて西暦のような洋式を頑なに拒否して何が得られるのか、というのも…。
つまんない意地で全員が不便さを被っても構わないのならそれはそれで有りだろうけども、それでいったい誰が得するのよ。
考え始めるとイマイチよく理解できていない事
誰か(他人)と似ていると言われるのは、本当に嬉しいのか?
自分が誰かに似てるのか。誰かが自分に似ているのか。卵が先か、鶏が先か。完全一致はそう無いので、互いに不完全な劣化コピーなのは、喜ばしいことなのか? よくわからない。
知名度のある人に似ていると言われて嬉しい人はどこが嬉しいポイントなのだろう。誰それよりも良いと言われないのは悲しくはないのか。自分で自分を謙遜したり卑下するのはともかく、最初から相手に他の誰かに劣っていると言われるのに近い気もするのだが、それは嬉しいのか。
近似か相似か知らんけど、似ているのは本当に良いことなんだろうか。
成人式の思い出
荒れる成人式のイメージができてどれくらい経つのか。
ふと自分の成人式の記憶を思い出してみたのだけれど、確かに余り良い思い出はないかな、と。
まず、市長のありがたくも100%つまらない話を聞かされるのがメインなので、これはもう確実にメリットなんてものは無い。
名前も顔もロクに知らず、直接会って会話もしたことのない全く興味すら抱けない他人の話を聞かされても、ありがたみは皆無だ。その発言の真意を知る頃には歳を重ねているし、その頃には何を話したかすら覚えちゃいない。式の余興もそれほど面白いものはそう無い。
また、久々に級友と会える機会だ、と言えば確かにそうなのだが、そもそも久々に会うくらいに付き合いが無いので、会っても話す事なんて特に無い。そもそも仲の良い級友は成人式に関係無く時折会うし、ね。
再開した事で再び交流が始まる、なんてケースも無くはないが、そんなものは本当に稀だ。基本的には無い。
学生時代に良い思い出の方が多かった人にとっては実り多く、良いかもしれないが、そうでない人にとってはむしろ嫌な記憶を無理矢理に引き出されかねない。
などと、考えてみると成人式に出るメリットが全く無い事に気付くわけで。
連絡手段が無かった昔ならいざ知らず、今時はあえて行く必要なんて無いよな。というのが俺の結論。行くだけ時間の無駄。
本音と建前と、現実でのバランス
知名度の低いアイドルちゃんほど、「会いに来てくれるだけでもありがたい」というのはある。
そう思う気持ちそのものに嘘はないだろう。が、アイドルも人間であり、霞を食べて活動しているわけではないのはご存知の通り。
必然的に「グッズ等を買い、活動資金を援助する」というのは避けて通れないのだ。
結果として、会いに(応援に)行ったらお金を落とす事が求められる。
イベント会場への交通費、時間帯によっては食費もかかる。その上でアイドルにお金を落とすのだ。これは回数を重ねるほど、バカにできない金額になっていく。
消費活動的に水商売や性風俗、ガチャ課金というか、食事や旅行などの趣味とも本質は変わらないのだけれど、金額を重視しているかどうかで対価を得られる消費活動か、単なる浪費に感じるかが分かれ道だ。
見返りを求めだすと、「ここまでしたのだから、これくらいの見返りがあって当然」ともいう、一方的で傲慢な考えが発生しやすい。
究極的には見返りを求めないのに、「なにか得られている」がベストだと思っているのだが、そこに至るにはハードルが高い。時間もお金も注ぎ込んだ上で、カタチのない満足感のみを得るというのは、とても難しい。俺自身もそうだが、お金の無い貧乏人は目先の金額しか見えず、大局的な見方が出来ないわけで。
結局は目の前のイベントを無理して行って、時間とお金を注ぎ込んで注ぎ込んで注ぎ込んで、見返りなんか求めていないのは理解していたつもりでも、いざ実感してしまうと人によっては耐えられずに狂っちゃう事はある。時々報道されるアイドル関連の、ファンの暴走事件なんかいい例だろう。
時間もお金もある出資者が娯楽としてきちんとコントロールできるのであれば、ある意味でそれは理想だよね、とは思う。
時間はたっぷりあるけれどお金は無い人々から、なんだかんだと小手先のグッズ販売でお金を回収しなければ成り立たないシステムは今の時代とても厳しいような気もする。
成り立つかわからないけれど、少なからず安定して活動資金を集めるのならばファンクラブ活動などでのサブスクリプションしかないんじゃないかなぁと。
毎月一定額を支払う、その上でお金に余裕がある人はさらにグッズ等を買って追加で資金援助。
ただ、個人でサブスクリプションはシステム構築のハードルがあるが…。
となると地方のローカルアイドルほど、事務所的なものでまとめてしまえば運営もしやすいのでは、と。どのアイドルも事務所経由で仕事依頼ができるし、アイドルグループ毎にサブスクリプションすればトータル金額も増える。さらに事務所でアイドル達をまとめられればレッスン場も借りやすいのでは。
問題なのは運営する側の人間がいない事だろうけれど。
色々妄言を書いてきたけれど、個人的に強く思うのは、地方で小さくくすぶっているアイドルは遅かれ早かれ去りゆく運命だろうな、という事。長続きするのは稀だ。
アイドルにしろ、ファンにしろ、多大な時間とお金を消費してしまった事に対して、悔やむ事はあって欲しくない。
個人的には「いい思い出になった」もそんなに好きじゃあないんだよね。俺には否定する事すら否定して、無理矢理にでも肯定しようとしているようにしか見えない。
地方アイドルゆえの魅力もあるのだから、アイドル本人達も、ファン達も、自分をすり減らしてでも必要以上に頑張らないで欲しいんだ…。俺は、デビューしたと思ったら、空中分解して風のようにいなくなってしまったアイドル達がしのびないのだ。新しくデビューするアイドル達は、そういう消えて行ったアイドル達の上に立っているのだから、残された反省材料をきちんと自分達に活かして欲しいわけで。まぁ、勝手な言い分ではあるけども。
どうせ活動するのならば、少しでも長く、楽しく活動して笑顔を振りまいて欲しい。それを撮らせてもらえれば俺自身も楽しいし、多分他のファンもおおむねそうであると俺は思っている。
本日確保したCD
衣食を削ってでもゲームと音楽にお金を注ぎ込む今日この頃。市外に出るお金の余裕もあんまりないです。
本日確保したのはこちら
FINAL FANTASY XI プロマシアの呪縛 Original Soundtrack
THE BEST OF KIMIKO ITOH
restless (bob james)
の3枚。
BOINC再開
古いけど動くPCを処分するのももったいないのでBOINCを再開する事に。
奥から
MacBookPro4,1
MacBook5,1
Altair VH-AD
VH-ADは今年上半期にドスパラで売っていた約3万円ノートPCで、試しに買ってみたけれど物理メモリが2GBしかなくアプリによってはツラいのでメイン用途には向かないのでちょっと触って退役。今現在はメモリを4GBに倍増したVH-AD2が発売してるのでそちらはもっとマシだと思われる。
写ってはいないけれど、10年近く前に購入してまだ動いているAthlon64のPCも自宅サーバ兼用でBOINCを動かしている。
あとはAndroid 4.1以降のスマホでもBOINCが動くらしいので今は使わなくなった
NEXUS7(2012)
ELUGA X P-02E
もBOINC専用で運用中。
試しにAndroid 4.0.4のスマホに入れようとしたが、こちらは無理だった。
スマホでも運用できるのは実際に動かしてみると結構感動する。BOINCが世に出る前から分散コンピューティングをしていた身としては隔世の感がある。
これで使わなくなったスマホを集めればPCよりも省スペースで省電力だから凄いのでは、という考えも頭をよぎる。 スマホのピークパワーはPCより下ではあるけれど、分散で処理させるという前提を考えれば、数が多ければ多いほど効果的だよね。
参加しているプロジェクトはSETI@homeを筆頭にEinstein@homeとLHC@homeに、ATLAS@homeです。
OSがBOINCの非対応になるか、ハードウェア的にぶっ壊れるかまで運用したいねぇ。まぁ、OSが非対応になったらLinux入れてでも使う気でいるけれど。
スマホゲームの終わり
サービスが終了して永遠に遊べなくなるのはとても悲しい。
いくらお金を注ぎ込んでも、終わるときは終わる。
今月は「サイヴァリア リアセンブル」と「バニッシュメント・デイ」がサービス終了してしまうので、どちらもちょこちょこ遊んでいた身としてはホント残念でならない。
「バニッシュメント・デイ」はブラウザ版の方がまだ継続するようだけれど(もしかしてユーザー数に対して開発リソースを一本化する事でサービスそのものの継続を選んだのかな…)、スマホ版からデータの引き継ぎは無いので1からやり直しだしね…。
売り切り型が売れないから基本無料の課金型になったとはいえ、それもまた永遠に続きそうは無いわけで。でも二度と遊べなくなるリスクを考えたら売り切り型の方がメリットあると思うんだけどねぇ…。
同じゲームを売り切り型と基本無料の2種類に分けても面白そうな気はするが、作る手間との兼ね合いもあるか。